日本の男子マラソン界に異変が生じている。2020年東京五輪男子マラソンの選考会「マラソングランドチャンピオンシップ」(MGC)に出場する選手がほぼ出揃った。国内開催のMGCシリーズが3月10日に終了し、男子は30人が本戦出場を決めた。4月末までワイルドカードによる出場の可能性を残すが、現時点で男子は30選手が20年東京五輪代表の座をかけて9月15日のMGCに臨む。
30人の顔ぶれを見ると、日本記録保持者の大迫傑(27)=ナイキ=をはじめとし、前日本記録保持者である設楽悠太(27)=Honda=、18年アジア大会金メダル井上大仁(26)=MHPS=、公務員ランナー、川内優輝(32)=埼玉県庁=らが順当に出場権を獲得している。だが、この30人の中に名門・旭化成所属選手が見当たらない。かつての名門の凋落...。男子マラソン界は今、大きな転換期を迎えようとしている。
五輪代表「ゼロ」も?宗兄弟ら輩出の名門
過去、旭化成陸上部は宗茂、猛兄弟を筆頭に数多くの長距離選手を輩出してきた。1991年世界陸上東京大会の男子マラソンでは谷口浩美氏が優勝。日本人選手として世界陸上で初の金メダルをもたらした。92年バルセロナ五輪では、森下広一氏が日本人として2人目となる銀メダルを獲得。旭化成はマラソンに限らずトラック競技や駅伝などでも輝かしい実績を残しており、長らく男子長距離界をけん引してきた。
MGC出場権をかけた国内主要レース「MGCシリーズ」は、5大会10レースが対象となった。それぞれのレースごとに順位とタイムが設定され、これをクリアすれば本戦の出場権が与えられる。旭化成の選手で同シリーズの最高成績は、2017年北海道マラソンの吉村大輝(26)の2位が最高で、吉村はタイムで1分56秒及ばず。今後、村山謙太(26)と深津卓也(31)がワイルドカードでの出場をかけ、4月末のハンブルク・マラソンの出場を予定している。
マラソンでは結果を残せていない旭化成だが、駅伝では相変わらずの強さを誇っている。元旦恒例の今年の全日本実業団対抗駅伝競走大会では、ラスト区間の逆転劇でV3を達成。2001~03年のコニカ(現コニカミノルタ)以来となる3連覇で、最多優勝記録を24回に伸ばした。昨年の日本選手権1万メートルで優勝者を出し、3位、5位、6位と上位を独占。決して陸上部そのものが低迷しているわけではなく、マラソンで結果を残せていないのが現状だ。
旭化成の陸上部員は社員として採用され、業務の傍らで選手として活動している。企業に所属しながら競技だけに専念する「プロ」とは一線を画す。ここ最近では2人のケニア人選手がチームに加入したものの、創部から一貫してこの姿勢を貫いてきた。社会人の陸上部の多くがそうであるように、チームとして最高の舞台となるのが元旦の全日本実業団駅伝。個人レースであるマラソンと比べ、どうしても駅伝に力が入ってしまうのは必然だろう。
加速する選手のプロ化 そのメリットは?
男子マラソンでは、かつては見られなかった事象が起こっている。それは選手のプロ化だ。日本記録保持者の大迫や、箱根駅伝で「山の神」として活躍した青学大出身の神野大地(25)=セルソース=が社会人チームを経てプロに転向。公務員ランナーの川内も、4月からプロランナーとして活動を開始する予定だ。注目すべきはこれらのプロランナーが結果を残しているという事実。今後、マラソンランナーのプロ化は加速していくとみられる。
実業団ランナーと比べ、プロランナーは収入が安定せず、練習環境を自身で確保しなくてはならないなどのデメリットはあるものの、一方で実業団ランナーにはないメリットもある。最大のネックとされる駅伝に縛られることなく、自身の意志で自由にレースを選ぶことができる。埼玉県庁の職員でありながら、ある種、「プロ」と同じような環境に身を置いていた川内が、これまでの男子マラソンの常識をことごとく覆してきたことも、プロ化が進むひとつの要因となっているのではないだろうか。
駅伝という大事なレースが年間スケジュールに組み込まれている実業団ランナーがマラソンレースに出場するのは、年間で2レース程度。これに比べ、川内は大小のレースを合わせると、年間で20レース近くこなすこともある。実業団関係者は当初、川内の取り組みに否定的な意見が多く見られたが、多くのレースをこなすことで日本一のタフさを誇る川内の走りは一定の評価があり、川内自身、MGC出場権を獲得したことでこれまでの取り組みが正しかったことを実証した。
不況のあおりを受けて企業スポーツの衰退が叫ばれている。陸上界も例外ではなく、輝かしい実績を持つ日清食品陸上部が廃部の危機に瀕している。同陸上部では、MGCの出場権を持つ佐藤悠基(32)と村沢明伸(27)以外の選手に退部を勧告し、今春の入社が内定していた2選手の内定を取り消す事態に。実業団チームの衰退の中で着実に進む選手のプロ化。20年東京五輪代表がプロ選手で占められる可能性は否定できない。