覆面レスラーの昼間の顔と夜の顔
世界的にみて覆面レスラーが多く存在するのが、メキシコのルチャリブレ(スペイン語でプロレスを意味する)だ。56年に初めて覆面レスラーとして来日したラウル・ロメロもメキシコ出身である。なぜルチャリブレに覆面レスラーが多いのか。それは多くのレスラーがルチャリブレだけでは生計を立てることが出来ず兼業していたため。日中にさらしている素顔を隠すため、夜間の試合ではマスクを装着するレスラーが増えていったという。
デストロイヤーさんのケースはこれとは別にある。当時、米国のメジャー団体で試合に出場するためにはライセンスが必要だった。地方の小さい団体でデビューしたデストロイヤーさんはライセンスを持っておらず、メジャー団体に出場するにあたり素性を隠すためにマスクを装着したという。ヒールに転向した覆面レスラーは米国で大いに受け、覆面レスラーとしてメジャー団体で初の世界王座を獲得した。
デストロイヤーさんや、ミル・マスカラスの影響を受け、日本でも数多くの覆面レスラーが登場した。日本のケースで多く見られるのが、日本のマットでデビューを飾った若手が海外に出向き、武者修行を終えて帰国した際に覆面レスラーとして再デビューするもの。素性を隠すというよりは、キャラクターそのものを変えて再デビューさせることが目的で、初代タイガーマスクの佐山聡氏は、日本デビューを飾った後、メキシコ、米国、英国と渡り歩き、現地で実績を積んでから日本で初代タイガーマスクとして再デビューを飾っている。
覆面レスラーとなったことが転機となり日米のマットで頂点を極めたデストロイヤーさん。長らく夫人のお手製のマスクを装着していたという。2001年に米国で起こった米中枢同時テロを機に空港の入国検査が厳重となったが、それ以前までは入国検査の際もマスクを装着する徹底ぶりだった。現役時代の激しいファイトの影響で晩年は足が不自由となり、日常生活では歩行器を必要としていたが、メディアの取材を受ける際は必ずマスクを装着していた。日米の覆面レスラーの礎を築いたデストロイヤーさんは、88歳で静かにこの世を去った。