デストロイヤーさんが覆面をかぶった理由とは マスクマンたちの「変身」事情

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   昭和のプロレス界に君臨した伝説の覆面レスラー、ザ・デストロイヤー(本名リチャード・ベイヤー)さんが2019年3月7日(日本時間8日)、亡くなった。享年88。デストロイヤーさんの子息のカート・ベイヤー氏が自身のフェイスブックで公表したもので、複数の米メディアが報じた。

   ベイヤー氏によると、デストロイヤーさんは7日正午過ぎに米ニューヨーク州の自宅で亡くなり、家族に最後を看取られたという。

  • 子息のカート・ベイヤー氏のフェイスブックより
    子息のカート・ベイヤー氏のフェイスブックより
  • 子息のカート・ベイヤー氏のフェイスブックより

WWA王座獲得で一躍米国トップレスラーに

   1954年に米国でプロレスラーとしてデビューしたデストロイヤーさんは当時、素顔でリングに上がっていたが、62年に覆面レスラー「デストロイヤー」が誕生。お馴染みの白地に赤色を縁取ったマスク姿の覆面レスラーとして、米国4大メジャー団体のひとつであるWWAヘビー級王座を獲得するなど一気にスターダムにのし上がった。

   63年に初来日し、国民的英雄の力道山と対戦。力道山との4度にわたるシングルマッチは日本プロレス史に残る名勝負として語り継がれているが、63年5月24日に東京体育館で行われたWWA世界ヘビー級選手権はテレビの平均視聴率が64%をマーク。多くの国民が熱狂し、テレビの前に釘付けとなった。

   日米のリングを股にかけていたデストロイヤーさんは、73年から7年間、日本に在住し、日本のプロレス界を支えてきた。ジャイアント馬場、アントニオ猪木、ジャンボ鶴田をはじめとする日本のトップレスラーと渡り合いながら、後進の指導にも当たった。約40年のキャリアで日米通算8000以上ものリングに上がった。

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