浅草の名物喫茶店「アンヂェラス」70余年の歴史に幕へ 街の復興夢見た創業者・澤田要蔵さんの功績

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情熱を傾けた「浅草復興」

   浅草のイメージを明るくしたいという思いが強かった。1963年の衆議院法務委員会に参考人として出席、都条例について暴力行為を厳しく取り締まってほしいと証言している。

「いったん、警察の手が緩みますと、彼らはお膳のハエのように、また、飛び出してまいりまして、警察のすきを狙っては、あちこちで客引きを行い、また、エロ写真を販売する......」

   当時の浅草がそうだった。

   澤田さんは1983年に79歳で亡くなり、妻の露子さんは2006年に92歳で亡くなった。アンヂェラスの経営は親族によって引き継がれてきた。

   澤田さんの時代、浅草は衰退の道をたどっていた。1960年の浅草はかろうじて映画、演劇の提供場所として人を呼んでいた。当時の調査では、「盛り場へ行く目的」で浅草は42.0%が観劇、いっぽう銀座、新宿、池袋は買い物が主たる目的だった。(「東洋経済」別冊夏季号1961年)国際劇場はホテルに変わり、娯楽ストリート浅草六区から映画館が消えていった。

   浅草は飲食と買い物の町に変貌した。東京都台東区の調査によれば、浅草を訪れる人は年間3000万人(2016年)を超え、使ったお金は飲食と買い物で900億円を超えている。2014年に開業した東京スカイツリーのおひざ元となって浅草は再興し、外国人観光客を集めている。新生浅草の一方で、澤田さんのアンヂェラスが閉店とは、皮肉な巡り合わせである。

(J-CASTニュース発行人 蜷川真夫)

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