三島由紀夫から最後の手紙
近松門左衛門から現代文学まで、多数の翻訳を残した。日本に関する著作として日本語のものが約30点、英語のものも25点ほど出版されている。2011年から『著作集』も刊行された。代表作として『日本文学史』、『明治天皇』、『百代の過客 日記にみる日本人』など。多数のエッセイのほか、司馬遼太郎との対談『世界のなかの日本』『日本人と日本文化』もよく知られている。
1962年、古典および現代日本文学の翻訳、海外への紹介などの功績で菊池寛賞を受賞したのを皮切りに、国際交流基金賞、読売文学賞、日本文学大賞、全米文芸評論家賞、井上靖文化賞、毎日出版文化賞、朝日賞などを次々と受賞。2008年には、外国出身の研究者として初めて文化勲章を受章した。
同世代の日本文学研究者では、同じコロンビア大学名誉教授のエドワード・G・サイデンステッカーさん(1921~2007)も有名だが、キーンさんは日本に軸足を置いて活動した期間が長かった。日本語での著作も非常に多く、講演やテレビ出演、新聞連載などを通して広く日本人に親しまれた点が際立った。
戦後の代表的な作家とは深く付き合った。とくに安倍公房、三島由紀夫と親しかった。三島とは頻繁に手紙のやりとりをしており、自決の2日後に、最後の手紙が届いた。そこには「ずつと以前から、小生は文士としてではなく武士として死にたいと思つてゐました」と辞世の思いが書かれていた。