北朝鮮の非核化に向けた動きが見えない中、2回目の米朝首脳会談が2019年2月27~28日に迫る。非核化は日本にとっても重大な関心事だが、文在寅(ムン・ジェイン)政権のブレーンが東京都内で行った「朝鮮半島の平和体制と非核化」に関する講演で、日本には全く言及しなかったことが波紋を広げた。
徴用工をめぐる判決やレーダー照射の問題で日韓関係が悪化する中で、日本は韓国に完全に「スルー」されるほどに重要性が下がってしまったのか。北朝鮮をめぐる問題では「つまはじき」なのか。講演直後の議論にも参加した東京大学大学院教授の木宮正史さん(朝鮮半島政治)に聞いた。(聞き手・構成:J-CASTニュース編集部 工藤博司)
日本は「戦争のできる国」にするため韓国を利用?
―― 日韓関係が悪化する中で、日韓双方に「陰謀論」が広がっていると指摘しています。
木宮: 今の日韓関係は「底が見えない」状況ですが、お互いが「自分は悪くない。相手が悪化した原因を提供しているんだ」という点では認識を共有しています。「なぜ相手がそういう行動をとるのか。それは相手がこういう陰謀を企んでいるからだ」という見方です。もちろん政府があからさまにそういうことを言うわけではありませんが、両国の与党議員の中には、そういう発言を平気でする人がいます。一見、陰謀論は腑に落ちる感じがするので、思考停止になって分かったふりになってしまうわけです。
―― お互いに、どういった「陰謀論」が跳梁跋扈しているのでしょうか。
木宮: お互いに共通して言えるのは、低迷する政権の支持率を上げるために日韓関係を利用しているのではないか、という議論です。安倍晋三首相が支持率を上げるために対韓強硬論を唱え、文大統領も同様に対日強硬論を唱えている、という見方です。特に韓国から見れば、日本の安倍政権は憲法改正や自らが目指す安全保障政策を進めるために韓国を安全保障上の問題として掲げることによって、韓国でよく使われる用語で言えば「戦争のできる国」にしようとしているのだ、という陰謀のような話です。
―― こういった類の陰謀論ですが、与党の政治家は国内世論向けの「ポジショントーク」として、わざと言っているのでしょうか。それとも本当に信じ込んでいるのでしょうか。
木宮: 最初はポジショントークだったと思いますが、両国間に悪材料が積み重なるうちに「やっぱりこれは現実なのではないか」と思いだしてしまう部分はお互いにあると思います。日韓両政府とも、綿密な戦略を練り上げているわけではないと思いますが、「徴用工」の問題であれば「ここで何とかしないといけない」という雰囲気はありました。でも、そこにレーダー照射の問題や文喜相(ムン・ヒサン)議長による天皇陛下への「謝罪要求」発言問題が出てくると...。予言をした人がその予言を信じて、それに沿った行動をする「自己充足的予言」という言葉がありますが、それに近いことが起きているのではないでしょうか。
実は「むしろ親米」な文在寅政権
―― 事実と異なるから「陰謀論」なわけですが、どういった点が「陰謀」なのでしょうか。
木宮: 今の安倍政権の外交政策では、インド太平洋の話はよく出てきますが、環日本海や北東アジアに関する話はあまり出てきません。日本側が重視していないものについて韓国側が過度に問題視するのは陰謀論の類だと思います。逆に韓国についていえば、北朝鮮との関係にある意味で前のめりになっているのは確かです。ただ、韓国が米国の後ろ盾がない状態で北朝鮮にアプローチしても北朝鮮は相手にしないし、韓国は孤立してしまいます。韓国は、このことを盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権の経験でよく分かっています。したがって、文在寅政権が気を遣っているのは米国との関係で、トランプ大統領をおだてて、何とか韓国が進めている北朝鮮政策に乗っかってもらおうとしているわけです。反米ではなく、むしろ親米です。ですが、日本では「文在寅政権が北朝鮮や中国と一緒になって米国に対抗しようとしている」という図式を作りたがる人がいます。
―― では、今の韓国政権は、日本をどの程度重要だと思っているのでしょうか。
木宮: 文在寅政権が米国に対して非常に気を遣っているのとは対照的に、日本との関係にはあまり気を遣っているようには見えません。南北関係が良好だった金大中政権では、米国や場合によっては日本も味方につけていました。金大中-小渕-クリントンのラインが機能していたわけです。このことを念頭に、19年2月9日に行われたシンポジウムでは、講演した文正仁(ムン・ジョンイン)大統領統一外交安保特別補佐官に「日本のことをもう少し意識したらどうですか」と質問したら、ああいう答えでした(編注:文氏は「朝鮮半島の平和体制と非核化」というテーマで行った基調講演で日本について言及せず、このことを木宮氏から指摘されると「現在、南北と米国が終戦宣言や平和協定や非核化について話し合っており、日本の役割はあまりない」と応じた)。日本に来てわざわざそんなふうに言わなくてもいいのにな、と思ったんですけどね。
―― 韓国政府の肩書を持った人が東京で日本人の聴衆を前に講演したのに、日本について言及しない。こういったやり方は、日本の世論に対して不適切なメッセージを送ることになりませんか。
木宮:もともと文正仁先生は私がよく知っている方で、知的に恩人でもあるし、大好きな韓国人のうちの一人です。文先生は日本にはよく来られますが、日本や日韓関係の専門家ではないので、あまり積極的に触れようとしなかったのかもしれません。私の質問の狙いには大きく3つありました。ひとつが、韓国から見て日本の北朝鮮に対する見方の何が問題なのかをきちんと指摘してほしかった、ということ。二つ目が、韓国政府は日本の見方がおかしいと思うのならもっと日本と対話して説得することが必要なのではないか、それについて文先生が日本との対話や日本に対する説得の必要性を韓国政府に対して促してもらえないか、ということ。三つ目が、北朝鮮問題で米国に影響力があるのは日本なので、米国を重視している韓国が「日本は役に立たないから無視する」というのはおかしい。日本を通じて米国を説得するというアプローチも考えてみるべきではないか、ということでした。韓国から見て日本は利用価値がもっとあるはずなのに、それを認めずにあんまり利用しきれていないんじゃないか、ということを、私としては指摘したかったわけです。
北朝鮮非核化、日本が果たせる役割とは
―― よくあるのが「日本がつまはじきになる」という議論です。
木宮: 私はやはり今のままの政策を取っていると、つまはじきになってもやむを得ないところがあると思うんですよね。ある種、韓国が米朝の仲介をするという形で非核化とそれに対する見返りを交渉している中で、日本が従来選択してきたのは「北朝鮮が非核化するはずがないじゃないか、だからだまされるな」という基本的スタンスです。この後、米朝交渉が不調に終われば、日本からすれば「言った通りじゃないか」となるのかもしれませんが、それが日本にとって良いことかどうかは別問題です。決して「北朝鮮を信じろ」ということではなく、依然として具体的な行動が見えていないことは確かですが、北朝鮮が非核化に向けた方向性を示している以上、日本も北朝鮮の判断を鈍らせないように「枠をはめる」ような努力をするのが合理的だと考えます。理由は二つあります。ひとつが、「元の状態」に戻るということは、北朝鮮の核の脅威が厳然として残るということで、日本にとって決していいことではない、ということ。もうひとつが、北朝鮮が約束を破れば制裁強化などの強硬論に回帰すればよく、「一度緩めると取り返しがつかなくなる」という論理は根拠がないと思うからです。
―― 韓国にとっての日本の「利用価値」に関する議論がありましたが、日本はどういった形で核問題に関与することができるのでしょうか。
木宮: 今の最大の問題は、確かにトランプ政権は北朝鮮の非核化に対するプロジェクトに何とか乗ろうとしていますが、米国全体、特にワシントンの外交エスタブリッシュメントからみると、北朝鮮について「とてもじゃないけど信用できない」という意見が非常に強い、ということです。だからこそ韓国はトランプ大統領や、その一部の取り巻きだけに依存してるわけで、凄くリスクがある状態です。トランプ大統領が少しでも機嫌を損ねたら終わり、となりかねません。トランプ大統領を説得するのも大事ですが、ワシントンの外交エスタブリッシュメント、特に野党の民主党を含めて、もっと説得する必要があります。その点、韓国の努力はまだまだ不十分です。韓国が本当に米朝会談を成功させたいのであれば、ワシントンへの太い人脈を持つ日本を「日本にとってもこんなにいいことがある」と説得した上で、日本を通じて「韓国の考えていることはこんなに利益があるし、そんなに非現実的な話ではない」とワシントンの外交エスタブリッシュメントに対して訴える、ということは十二分にありうると思います。ただ、文在寅政権を見ると、今進めている政策に日本を関わらせるということに対してあまり乗り気ではないように見えます。朝鮮半島の問題に対して日本が関わることに対する心理的な拒否感があるようです。それでも、今のままトランプ大統領頼みで事が進むとすると、トランプ大統領がちょっと翻ると韓国が孤立する危険性が非常に高いと思います。
―― 日本もしっかり支える余地が大いにある、ということですね。
木宮: 北朝鮮が非核化すると言っている以上、日本の安全保障にとって脅威が減っていくことは良い事です。問題はどの程度信頼性があるのか、本当に実現可能なのかどうか、実行するのかどうか、ということに対する不信感です。そこがクリアされれば日本に対して悪いことは決してないと思うんですよね。
世論に「手をつけられない」文政権
―― 北朝鮮問題をめぐる日本にとっての国益は、大きく(1)核・ミサイルの脅威がなくなること(2)拉致問題を解決すること、だと思います。安倍政権は、拉致問題解決を前提に金正恩委員長との首脳会談を呼びかけるなど、「対話路線」にシフトしているように見えます。このアプローチは妥当だと思いますか。
木宮: 決して安倍首相は日朝交渉を「やらない」と思ってはいないと思いますよ。何かをやろうとしていることは確かだと思います。問題は「拉致問題の解決」と言ったときに、どの程度のリアリティのある「解決」を考え、それを実現することができるのか、ということです。
―― 北朝鮮側は、拉致被害者や行方不明者を含む「すべての日本人」の再調査を約束した14年の「ストックホルム合意」を反故にしたまま、「拉致問題は解決済み」と主張し続けています。仮に北朝鮮側が報告書を出してきた際の対応も難しそうです。
木宮: 安倍首相も北方領土問題で「4島返還論」から「2島+α」論にシフトしつつあるわけですよね。そうしたことを決断するだけの勇気があるのであれば、拉致問題を進めることも不可能ではないと思います。ただ、ロシアのプーチン大統領と北朝鮮の金正恩氏では、プーチン大統領の方が交渉相手としては信頼性が高いのは事実です。日本社会が「北朝鮮の言うことはとにかく信頼できない」という印象を持っていたりと、課題は多くあります。
―― これまでにうかがったようなお話が進むためには日韓の適切なコミュニケーションが必要ですが、慰安婦、「徴用工」をめぐる訴訟、レーダー照射、議長による天皇陛下への「謝罪要求」など問題山積で、落としどころが全く見えません。
木宮: 日本は韓国政府に対して政治的な決断を求めているわけですが、残念ながら今の韓国政府にその意志はないように見えます。自分たちが政権を樹立した元々の原動力が世論の力だから、そこに乗っかっているようにしか見えないからです。問題解決には世論をある程度管理することが必要ですが、今の政権にそれは難しいように見えます。日本では「文在寅政権が世論を扇動している」という陰謀論がありますが、世論について「手がつけられない」というのが実情ではないかと思います。司法についてもそうです。司法が今の政権の味方をする側面もありますが、司法をコントロールするのは不可能です。世論操作をめぐる事件で慶尚南道の金慶洙(キム・ギョンス)知事が逮捕・起訴され、ソウル中央地裁が19年1月に実刑判決を下したうえ、即時収監したのが良い例です。現役知事を収監するのは異例で、金慶洙氏は文在寅氏の側近だということもあり、政権には衝撃が走りました。
―― 「徴用工」をめぐる訴訟は韓国内で多数起こされています。このままいくと、日本企業に賠償を命じる判決が次々に確定してしまいます。
木宮: 今の政権では、韓国政府から「こういう枠組みで解決しよう」と言い出すのは難しいでしょう。日本政府が韓国政府に対して対応を求めるのは外交としては理解できますが、今の韓国政府の実情を見ると。ちょっとそれはなかなか重荷というか、そんなに期待してもなかなか期待できないかと思います。
米朝首脳会談の見通しは...
―― かといって日本側も「はい、そうですか」と流されるわけにはいきません。
木宮: 実際、日本の企業の在韓資産に対する差し押さえという問題がもう目の前にあるわけですから、日韓の経済関係にも相当なダメージになると思います。
―― 先が見えない。まさに底が見えない。
木宮: これまでは、歴史問題があったとしても日韓の政府間では「しっかり安全保障、防衛交流をやっていますよ」という状態が続いてきました。しかし、レーダー照射問題以降、防衛交流も危うくなっていますし、日本企業の在韓資産の差し押さえがあれば経済関係にも少なからず影響があって当然です。そうすると色々な状況に影響が出ます。例えば日本に来る韓国人観光客は気にしないと思いますが、韓国に行こうとする日本人観光客には影響が出るでしょう。文在寅政権は、歴史問題とそれ以外を切り離す「ツートラック戦略」を打ち出していますが、おそらくそれは日本には通用しません。
―― 最後に、米朝首脳会談では、何らかの成果があると思いますか。今回は2回目で日程も2日あります。18年のように「会ったこと自体に意義がある」とはいきません。
木宮: 非核化の工程に関する合意を少しずつ詰めていく「サラミ戦術」にならざるを得ないと思います。一度に何かを大胆に期待するのは難しいでしょう。トランプ大統領は再選の問題があるにしても、金正恩氏には政権交代はあり得ないので、ある程度時間をかけてお互いの非核化と見返りを進めていくことしかありません。問題はお互いに「こんなのはもうやってらんねぇ」という風になると、お互い(核武装を強調していた)2017年の状況に戻って危険です。進まないからしびれを切らしてダメだというのではなくて、とにかくちょっとでも進んでいるうちはそれを見守り、後押しをしながらやっていくというのが賢明だと思います。
木宮正史さん プロフィール
きみや・ただし 1960年、静岡県生まれ。東京大学法学部卒業。同大学院法学政治学研究科修士課程修了・博士課程単位取得退学。韓国高麗大学大学院政治外交学科博士課程修了(政治学博士)。法政大学法学部助教授、東京大学大学院総合文化研究科助教授・准教授を経て東京大学大学院総合文化研究科教授。