高校野球の監督に「定年」は必要か 名将引退の歴史をひも解く

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   高校野球の強豪として知られる広島・如水館高が、監督問題で大きく揺れている。2019年2月20日、スポーツ報知が報じたもので、同校野球部の迫田穆成(よしあき)監督(79)の退任に伴う監督交代が保護者会を巻き込んでの事態に発展。昨年12月には迫田監督の退任撤回を求める署名運動が行われたという。

   甲子園春夏通算8度の出場を誇る広島の強豪校に何が起こったのか。騒動を時間軸で追っていくと、昨年10月下旬に迫田監督の退任が決定し、後任に野球部OBでコーチを務める樋口圭氏(25)が内定。この人事は当時、地元メディアでも報じられており、迫田監督の3月末の退任は既定路線となっていた。

  • 高校野球の聖地・甲子園球場
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監督退任は「総合的な判断」

   報道によると、昨年11月に保護者向けに行われた臨時総会で学校側からは、迫田監督の退任理由について「総合的な判断としか言えない」との説明がなされただけで、詳細には触れなかったという。迫田監督には続投の意志があったともいわれ、学校側と保護者の間の溝は埋まらないまま年越しとなった。

   学校側の説明にある「総合的な判断」のひとつとして、迫田監督の年齢が含まれるだろう。79歳の迫田監督は、高校野球の監督としてはかなりの高齢にあたる。昨年までの最高齢は、群馬・利根商高の豊田義夫監督の82歳。また、甲子園の常連校を率いる監督では、高校野球指導歴52年、甲子園春夏通算32度の経歴を持つ岐阜・大垣日大高の阪口慶三監督(74)が有名なところだ。

   高校野球の歴史を紐解いてみると、名将と呼ばれた監督の多くが70歳を前に退任していることが分かる。甲子園大会において監督して史上最多の勝利数を誇る、元智辯和歌山高監督の高嶋仁氏は昨年、72歳で勇退している。名門・PL学園高を率いた中村順司氏は、51歳で退任して大学の監督へ。元横浜高監督の渡辺元智氏は70歳で監督の座を退いている。

和歌山の知将は51歳の若さで勇退

   茨城の名将として知られる、元取手二校、常総学院高監督の木内幸男氏は、80歳を前にした79歳でバットを置いた。この時、木内氏が勇退の理由に挙げたのが「年齢と健康上の問題」だった。また、和歌山の名門・簑島高を率いた尾藤公氏は「腰痛の悪化により、イメージ通りのノックができなくなった」として、51歳の若さで勇退している。

   高校野球の監督の多くは教員で、専任監督はごくわずか。教員であるゆえ、60歳が定年となり、その後、監督を継続する場合はボランティア的な立場で選手を指導することになる。その多くが無給で、支給されても弁当代など心ばかりのわずかな金額のもの。当然、監督業だけでは生活することは困難で、迫田監督もまた、監督の傍らで本業を持っていた。

   迫田監督は1966年から74年まで母校の広島商高で指揮を執り、チームを全国優勝に導いた実績を持つ。1973年の春の選抜では、江川卓氏率いる優勝候補筆頭の作新学院高をわずか2安打で下し、「広島に迫田あり」を全国に知らしめた。如水館でも指導力をいかんなく発揮し、春夏通算8度、チームを甲子園に導いている。

ベテラン監督と若手コーチの間に生じる「深い溝」

   報道では、迫田監督の退任に伴い、エースを含む2選手が退部し、入部希望者も激減したという。高校の名門野球部出身の関係者によれば、このような事態は強豪校ではよくあるケースだという。監督に直接スカウトされた選手や父母は、監督に全幅の信頼を寄せるばかりに、監督が解任されると、選手もそれに追随するという。

「野球の名門と呼ばれる学校では、ひとりの監督が長くチームを指揮することは珍しくない。そこで問題になるのがコーチとの関係性。年齢の高い監督と若いコーチでは、指導方法に違いが生じることが多くみられる。若いコーチは科学的なトレーニングを導入したがるが、年齢の高い指導者は嫌がる傾向にある。確かに監督の名前で選手が集まるが、古い指導法だと選手が育たない。学校側としても頭の痛い問題でしょう」

   後任の樋口監督は1月下旬から出勤していないという報道もあり、混迷を極める如水館の監督問題。学校側と保護者、選手らの和解までにしばらく時間がかかりそうだ。

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