高校野球の監督に「定年」は必要か 名将引退の歴史をひも解く

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和歌山の知将は51歳の若さで勇退

   茨城の名将として知られる、元取手二校、常総学院高監督の木内幸男氏は、80歳を前にした79歳でバットを置いた。この時、木内氏が勇退の理由に挙げたのが「年齢と健康上の問題」だった。また、和歌山の名門・簑島高を率いた尾藤公氏は「腰痛の悪化により、イメージ通りのノックができなくなった」として、51歳の若さで勇退している。

   高校野球の監督の多くは教員で、専任監督はごくわずか。教員であるゆえ、60歳が定年となり、その後、監督を継続する場合はボランティア的な立場で選手を指導することになる。その多くが無給で、支給されても弁当代など心ばかりのわずかな金額のもの。当然、監督業だけでは生活することは困難で、迫田監督もまた、監督の傍らで本業を持っていた。

   迫田監督は1966年から74年まで母校の広島商高で指揮を執り、チームを全国優勝に導いた実績を持つ。1973年の春の選抜では、江川卓氏率いる優勝候補筆頭の作新学院高をわずか2安打で下し、「広島に迫田あり」を全国に知らしめた。如水館でも指導力をいかんなく発揮し、春夏通算8度、チームを甲子園に導いている。

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