「球数制限より、まず登板間隔」 元甲子園優勝投手が語る「率直な心境」

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「選手の意志を尊重してあげたい気持ちも...」

   また、下窪氏は元高校球児として、今回の問題について率直な心境を語った。

「高校の野球部には、プロを目指している選手もいれば、野球は高校までと決めている選手もいる。投手にとって肩は消耗品なので、プロを目指している投手には指導者がしっかりと指導し、投球数などを管理してあげればいいと思います。決して投球制限を否定するわけではないですが、選手の意志を尊重してあげたい気持ちもあります。高校生にとって甲子園に行けるかどうか、甲子園で優勝できるかどうかは、その後の人生を大きく変えるものですから」

   春の選抜大会決勝で下窪氏と投げ合った智弁和歌山高のエース高塚信幸氏も、高校時代の連投が影響して肩を故障したひとり。高塚氏は1997年にドラフト7位で近鉄バファローズ(当時)に入団するも、肩が完全に回復することなく一度も1軍のマウンドに上がることはなかった。キャリアの途中から野手に転向したものの結果を残せず6年間のプロ生活を終えた。

   下窪氏と高塚氏が甲子園で投げ合いを演じてから20年以上経った今も、高校野球の投球問題は解決の糸口さえ見出せないでいる。学校教育の一環であるはずの高校野球は「勝利至上主義」が取り沙汰され、本来の姿を見失っている感がある。

   甲子園優勝投手から肩の故障での野手転向、そして横浜での4年間のプロ生活。下窪氏は、自身の野球人生を振り返りつつ、最後に高校時代の投球について「今でもまったく後悔はしていません」と言い切った。

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