店頭にずらりと並んだ牛肉が目に飛び込んできた。どれも新鮮でおいしそうだ。焼肉にステーキ、やっぱりすき焼きもいいなあ――。思わずお腹が鳴ってしまいそうなほど、食欲がそそられる。
パックには「福島牛」のラベルが貼られている。「千駄木腰塚・横濱精肉店」で2019年2月8日~10日、福島県内で肥育・生産された黒毛和牛「福島牛」のフェアが開かれ、店頭には「銘柄福島牛」が並んだ。千駄木腰塚は1949(昭和24)年創業の老舗で、およそ40年にわたって福島牛を取り扱ってきた。
「いい牛を育てよう」という仲間を後押ししたい
「しっかりと飼育しているから、肉質のばらつきが少なく、安定しています」
千駄木腰塚を運営するコシヅカハム社長の羽生正太郎氏は、福島牛の特長をこう語る。 また、専門用語で「もも抜け」(ももまでサシが入っていること)がよい点も挙げた。通常、競りの際には牛のロース部分で等級が決まる。優れた肉質を見抜く「目利き」の腕の見せ所ではあるが、実はその際は牛のももの状態までは分からない。だが福島牛はももまできれいに「サシ(霜降り)」が入っていることが多いという。
福島牛と千駄木腰塚の「付き合い」は、40年に上る。現・コシヅカハム会長で「福島牛を育てる会」会長も務める腰塚源一氏が長年にわたり、現地の生産者らと協力。「良質な牛肉」のために妥協はせず、頻繁に生産者のもとを訪れ、時には厳しく提言してきた。一方で、震災以降福島が置かれた厳しい状況を考え、安値で牛を競り落とすことはしない。生産者も期待に応えようと品質向上に努め、相互に信頼関係を築き、共に福島牛ブランドを育ててきた。今日では、「東京の市場に入ってくる福島牛を一番多く、ウチで買い付けています」と羽生氏は明かす。
福島県では、出荷される牛の放射性物質の全頭検査を今も続けており、安全性が確認された牛肉のみが流通している。2011年3月の東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故後、千駄木腰塚では「福島牛は厳しい検査をしているので、安全かつ安心です」と説明し、定期的に店舗で「福島牛フェア」を開催するなど積極的にアピールを重ねた。常連客の間では「千駄木腰塚さんが言うなら大丈夫」と信頼され、店で販売するうえでは震災前と比べて大きな変化はなかった。
しかし、世間では福島県産の食品に対する風評が吹き荒れた。千駄木腰塚では牛肉の仲卸も手掛けているが、購入を手控える消費者の存在によって流通業者は仕入れに二の足を踏む。業者と粘り強く交渉し、取扱先を広げる努力は今も続く。
「生産者の皆さんは、『いい牛を育てよう』と取り組んでいる仲間。だから今まで以上に後押ししたいのです」
福島牛の販売を続ける理由は、羽生氏のこの言葉に凝縮されている。
「牛肉のプロ」が認めたからこそ買い付けを続けている
全国には、「神戸牛」や「松阪牛」をはじめ、有名な「銘柄牛」が数多くある。ただ同じ銘柄でも個体差があるため、常に肉の品質が同じとは限らない。「いつでも良い品を食卓へ」との理念を掲げる千駄木腰塚では、銘柄を限定せず質重視で牛肉を選び、店頭に並べる。高品質の牛肉は、「赤身が柔らかく、脂の香りと口どけが良い」のが特長。福島牛も、「牛肉のプロ」がそろう千駄木腰塚が認めたからこそ買い付けが続いているのだ。
牛肉に長年誠実に向き合ってきた老舗の精肉店が、ぶれずに福島牛の販売を続けていることで、消費者の間で安心感や信頼感が徐々に増してきた。さらに進めば、規模の大きい流通業者も福島牛の取り扱いを増やしていくはずだ。
ただ現状では「まだまだ足りない」と羽生氏。もっと牛肉を通して消費者とコミュニケーションを図れる機会をつくれば、人々の間での理解も広がると考える。千駄木腰塚では今年、東京都内に飲食店をオープンする予定だ。食肉の販売以外でも消費者との接点を増やし、ゆっくり食事をしてもらいながら「このおいしい肉はどこから来たか」を語れる場にしていきたいという。将来は、「例えばお客さまを福島に招いて、現地の方と交流する」構想も頭に描いている。食事やふれあいの場を通して、良い牛を育てようと努力を重ねる生産者の存在を実感してもらうのだ。
「以前は生産者にどんな言葉をかければよいか、迷ったほど。最近は冗談も言えるようになりました。皆さん、気持ちが前向きになってきていると感じます」
「本当にいいもの」をより身近に深く理解してもらうため――。時間をかけて羽生氏は挑戦を続ける。