逆説的な言い方になるのだが、軍事指導者たちが兵士を自らの命令で平気で死を強要できる心理はどのようにして成り立つのであろうか。むろんこれは不可視のことなのだが、この点を考えなければ戦争の本質は見えてこない。例えば特攻作戦や玉砕などの命令はどのような心理の元で下されるのだろうか。私はこのことについて大本営参謀の何人かに確かめたことがある。
大本営参謀だった瀬島龍三は、「そういう作戦命令を書くときは皮膚が一枚一枚剥がれるような苦しみを味わった」と証言していた。敗戦直後に大本営参謀が自決したケースは大体がこの苦しみからの解放と、責任を痛感してということでもあったように見受けられる。
一方で兵士に戦闘以外での死を強制する軍事指導者は、戦時下ではその命令の示達に特別の感情を持っていないことがわかる。戦時下のある時期に政治、軍事の両面を担った東條英機をみてみると、そのことがよく分かる。1943(昭和18年)の衆議院の特別委員会で、独裁政治ではないかと問われた時に、「そうではない。東條もまた一個の草莽の臣である。あなたがたとひとつも変わらない。ただ私には総理大臣という職責が与えられている。ここが違う。これは陛下の御光を受けて初めて光る。陛下の御光がなかったら石こにも等しいものだ」と答えた後に、「そこがいわゆる独裁者と称するヨーロッパの諸公とは趣をことにしている」と補足した。
東條英機が振りかざした危険な論理
この論理はきわめて危険な論理であった。ここには重大な視点が隠されている。具体的に指摘するなら、自分は天皇から全権を付与されている、だから自分に抗することは許されないとの自負である。逆説的に天皇の意志さえ無視することができることを宣言したと言える。そのことについて東條は理解が及んでいない。自分は天皇の意志に反することはいささかも行なっていないというのが論理矛盾だということを分かっていないといっても良かった。天皇はすべてのことに意思表示するわけではないのだから、あまりにも雑駁な認識であった。
東條はどれほど戦死者が出ようとそれは天皇の意志で続いている戦争であり、勝つまで続けるのが天皇の意志だと思い込んでいたのである。その方が都合がいいからだ。
今では明らかになっているが、天皇は3年8か月続いた太平洋戦争の間、その心中は常に自省、懊悩、困惑の中にいた。戦争という手段を選択したことに苦しんでいたのである。東條はそのような苦しみを全く理解していなかった。このことは何を物語るのか。答えはひとつである。次のように言っていい。
【東條に代表される戦時指導者たちは、自分たちの心理的負担になる作戦命令の非人間的側面から逃れるために立憲君主制の立場をとる天皇を利用した】
このことが太平洋戦争の不可視の部分の中心軸であった。この当たり前のことを私たちは、理解すべきである。