脳外科医でリングドクターでもある田中将大(29)=川崎新田=が2019年2月6日、東京・後楽園ホールで行われたミニマム級4回戦に出場し、1回25秒TKOでプロデビュー戦を飾った。現役の脳外科医として注目を浴びる一方で、ヤンキース田中将大投手(30)と同名の「たなかまさひろ」も話題に。ボクシング界のマー君は、今後もドクターとボクサーの二足の草鞋でリングに上がる予定だという。
ボクシングでは、田中のような異色の経歴を持つボクサーがたびたび話題に上がる。過去には、お笑い芸人や公務員、公認会計士のプロデビュー戦がスポーツ紙の紙面を飾ったこともある。中でもメディアの注目度が高いのは高学歴ボクサーだ。東大、京大をはじめとする国立大卒のボクサーは、話題性を求めるスポーツ紙の記者にとっては格好の「ネタ」となり、ボクサーとしての資質よりも、人間性に迫る記事が多くみられる。
なぜメディアは高学歴ボクサーを取り上げるのか。それは一般の人が持つボクシングのイメージと対極にある存在だからだろう。昭和の時代、ボクシング界には「拳一つでのし上がる」という野心を抱き、プロのジムに入門する若者が多くいた。中学を卒業してすぐに入門する者もいれば、高校卒業を待って入門する者もいたが、大卒のプロボクサーは当時、珍しい存在だった。
「国公立大卒初」の世界挑戦、結果は
日本の大卒ボクサーが初めて世界王座を獲得したのは1976年10月。拓大卒のロイヤル小林氏が、WBC世界ジュニアフェザー級王座を獲得して初の大卒王者が誕生した。白井義男氏が、1952年に日本初の世界王者となってから24年後のこと。この4年後の1980年1月には駒大卒の中島成雄氏がWBC世界ライトフライ級王座を獲得し、2人目の大卒世界王者になっている。
小林氏や中島氏の場合、ボクシングの強豪大学出身で、大学時代からアマチュアでならしてきたボクサーだった。学生時代、主だったアマチュアの実績がなくプロとなったボクサーで栄光を手にしたものは数少ない。上記の田中を指導する川崎新田ジム会長の新田渉世会長(50)はその数少ないボクサーのひとり。横浜国大卒の新田会長は、1996年10月、東洋太平洋バンタム級王座を獲得し、国立大出身ボクサーとして初の東洋王者となった。また、2003年3月に東工大卒の小林秀一氏が、日本ウエルター級王座を獲得して国立大出身初の日本王者として大きな話題を呼んだ。
現在のプロボクシング界は、大卒ボクサーがトップを占めている。世界、日本の上位にランクされる多くのボクサーが大卒という現象が起こっている。高校、大学でアマチュアを経験し、実績を残してプロ入りするケースが増え、2000年代後半からこの傾向が強まっている。2000年以降に誕生した日本人の世界王者のうち、実に14人が大卒。「神の左」の異名を持ち、世界王座12度の防衛を果たした山中慎介氏(36)は専大卒、元WBC世界ミドル級王者の村田諒太(33)=帝拳=は東洋大卒である。
大卒ボクサーが主流の今もなお、メディアは高学歴ボクサーに希少価値を見出す。昨年大晦日には大阪市立大卒の坂本真宏(27)=六島=が、国公立大卒のボクサーとして初めて世界に挑み注目を浴びた。結果、王座奪取はならなかったが、改めてボクシングにおける高学歴ボクサーの「価値」の高さを感じさせる一戦だった。