2018年から19年にかけての年末年始に、初めてイスラエルを旅した。何回かに分けて番外編「イスラエルで見聞きした『トランプのアメリカ』」を伝える。
トランプ大統領がエルサレムをイスラエルの首都と認定宣言し、2018年5月14日、米大使館をテルアビブからエルサレムに移転した。その日は、イスラエル独立宣言の70周年記念日だった。
「エルサレムはユダヤ人のもの」というキリスト教徒
どんな場所にあるのか知りたいと思い、エルサレムの中心からバスに乗り込んだ。
そのバスが大使館まで行くかどうか運転手に確認すると、運転席のすぐ後ろにすわっていた60代の女性が、アクセントの強い英語で「行きますよ」と代わりに答えた。
女性はそのすぐ近くに住んでいるという。ポーランド系ユダヤ人で、キリスト教徒だった。
大使館の移転について、女性の意見を聞いた。
「移転してよかったと思いますよ。エルサレムはユダヤ人にとって歴史的に重要な場所。しかもイスラエルの首都で、エルサレムはユダヤ人のものですから」
「歴史的に重要なのは、イスラム教徒にとっても同じですよね」
「でもイスラム教は、ユダヤ教よりずっとあとのことです」
イスラエルのユダヤ人から、それまで何度も聞いた答えだった。
エルサレムでは紀元前1000年頃、ヘブライ王国が成立し、その聖都となった。その後、イエスの処刑や復活などその生涯と関わりが深いため、キリスト教の聖地とされた。さらに7世紀からイスラム教徒に支配され、メッカ、メディナに次ぐ聖地となった。
1948年のイスラエル建国とともに起こった第1次中東戦争で、新市街の西エルサレムはイスラエル領、旧市街を含む東エルサレムはヨルダン領となった。67年の第3次中東戦争(六日戦争)で、イスラエルは東エルサレムも併合。エルサレム全体を首都と定めた。パレスチナもエルサレムを首都としているが、イスラエル占領下にあるため、ラマッラが事実上の首都となっている。
ライフル銃を持った兵士がバスに
バスでその女性と話していると、ライフル銃を肩にかけた男性兵士がひとり、乗り込んできた。しばらく車内を見回し、降りていくと、別の停留所でまた、ライフル銃を持った別の兵士が乗ってきた。
車窓から見える住宅地を指さし、「この辺りはユダヤ人居住区なんですよ」、「あれはアラブ人居住区です」などと女性が説明してくれた。
アラブ人居住区には、厚い壁がめぐらされていた。「ナイフなどを持ってアラブ人がこちらに入ってくるのを防ぐためです。数年前にこの辺りで、バスの中でアラブ人によるテロがあって、たくさんの死傷者が出たんです。そう、ちょうどここですよ」とおびえるように話した。
女性は話し込んでいるうちに、乗り過ごしてしまい、私と一緒に米大使館前でバスを降りた。バスは回り道をしていくので、エルサレムの中心から30分ほど乗ったが、車でも15分ほどかかるという。旧市街から5kmほど南に下りたところだ。ずいぶん辺鄙な場所にある、という印象を受けた。
大使館の壁には、トランプ大統領の名前が書かれたプレートが貼られている。この建物には前から、米領事館があった。適当な場所が見つかるまで、ここで暫定的に大使館業務が行われるという。
脇の坂を上ると、高台から住宅地が見えた。ユダヤ人入植地だ。大使館の建物は、第1次中東戦争後、国連が設けた49年の休戦協定ラインにまたがっており、その先のノー・マンズ・ランド(中間の無人地帯)にかかっている。
67年の第3次中東戦争で、イスラエルは休戦協定ラインを超えてエルサレムを占拠した。もともとこの辺りにはアラブ人の村があり、小麦やぶどうの畑が広がっていたという。
「この土地が神の目的に添うように今、トランプ氏を用いている」
しばらくそこに立って女性が私に説明していると、すぐそばで駐留していた警備員が、「観光客はみんなあのプレートの写真を撮ったら、すぐに帰っていくよ」と、英語で声をかけてきた。こんなところでいつまでも何をしているのかと、不審に思ったのかもしれない。
しばらくすると、観光バスが止まり、大勢の中国人旅行者が降りてきて、大使館の写真を撮り始めた。男性のツアーガイドに尋ねると、「トランプで話題になったので、ここに来たがる旅行者は多い。もはや、観光名所のひとつですよ」と答えた。
バスで知り合った女性は、近くにあるキブツ(集団農業共同体)も案内してくれた。近くに住む彼女の娘の家に寄ったあと、女性の自宅で手作りの夕食をご馳走してくれた。この辺りは丘にアパートが連立している。「67年までヨルダンの土地だった」という。
女性は自宅への道を歩きながら、アラブ人居住区を何度も指さし、不安を隠しきれない様子で、「私たちはアラブ人に取り囲まれて暮らしているんです。どんどんこちらに押し寄せてきて、そのうち私たちの住む場所も奪われてしまうかもしれない」と言った。「アラブ人が嫌なのではない。キリスト教徒のアラブ人のなかには、親しい人もいる。私たちの土地を奪い、危害を加えるのが、許せないのです」。
アラブ人にしてみれば、ユダヤ人が自分たちが住んでいた土地を奪った。そして、占領地内の入植地は拡大し続けている。
「時間がかかるかもしれませんが、ほかの国もいずれエルサレムに大使館を移すことになるでしょう。この土地が神の目的に添うように今、トランプ氏を用いているのだと思います。正しいことをしているトランプ氏を、皆が愛し、彼のために祈っています」
センシティブな内容だけに、女性は名前を出さないでほしいと言った。イスラエルのユダヤ人のなかには、トランプ氏を支持せず、大使館移転に真っ向から反対する人たちも少なくない。
自宅のすぐ近くでテロが起きるなど、個人的な経験がこの女性のアラブ人に対する恐怖心をあおっているのは間違いないが、私がイスラエルで出会った何人ものユダヤ人の本音を、女性は代弁していた。パレスチナ問題の根の深さを、改めて実感した。
(次回に続く。随時掲載)
++ 岡田光世プロフィール
おかだ・みつよ 作家・エッセイスト
東京都出身。青山学院大卒、ニューヨーク大学大学院修士号取得。日本の大手新聞社のアメリカ現地紙記者を経て、日本と米国を行き来しながら、米国市民の日常と哀歓を描いている。米中西部で暮らした経験もある。文春文庫のエッセイ「ニューヨークの魔法」シリーズは2007年の第1弾から累計37万部を超え、2017年12月5日にシリーズ第8弾となる「ニューヨークの魔法のかかり方」が刊行された。著書はほかに「アメリカの家族」「ニューヨーク日本人教育事情」(ともに岩波新書)などがある。