保阪正康の「不可視の視点」
明治維新150年でふり返る近代日本(29)
「皇軍転じて神軍に」が意味すること

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「血が流れていない神」なので「銃弾に当たっても死なない」という理屈

   『皇軍史』が示している不可視の領域とは何か。具体的に言うならば、1882(明治15)年1月に天皇によって発せられた「軍人勅諭」をまったく独自に解釈するのである。もともとは天皇の軍隊が尽くすべき役割を説いたのがこの内容である。ところが『皇軍史』はその役割以上に重要な精神があるとするのである。

   軍人勅諭の冒頭は、「我国の軍隊は世世天皇の統率し給ふ所にそある」と言うのだが、この部分を「神武天皇躬ら大伴物部の兵どもを率ひて中国(なかつくに)を平定し給ひし以来、歴世平間の大権を掌握あらせられ建軍の本義炳乎として確立せられたる所以を明かに御示しになった」と独自に解釈する。軍人勅諭をこう解釈することで、現実離れした空間を作り出す。現実の人間は、神代からの精神を具現化した抽象的存在になっていく。精神によってのみ存在するから、食糧がなくても、銃弾に当たっても決して死なない。なぜなら血が流れていない神としての存在だからである。

   この神国の神兵たちという理解は大本営の参謀たちにとって、なんとも頼もしい。だから平気で特攻作戦や玉砕といった戦術が取れたのであった。(第30回に続く)




プロフィール
保阪正康(ほさか・まさやす)
1939(昭和14)年北海道生まれ。ノンフィクション作家。同志社大学文学部卒。『東條英機と天皇の時代』『陸軍省軍務局と日米開戦』『あの戦争は何だったのか』『ナショナリズムの昭和』(和辻哲郎文化賞)、『昭和陸軍の研究(上下)』、『昭和史の大河を往く』シリーズ、『昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書)など著書多数。2004年に菊池寛賞受賞。

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