嵐は活動休止の発表にあたり、決断にいたるまでのプロセスを比較的詳細に明かしている。その時系列を追うと、事務所の動揺、そしていかにこの事態に対応したかがうかがえる。
図表は、嵐の休止までの過程、そして同時期の主要なジャニーズ所属グループ、タレントらの動向をまとめたものだ。
SMAP解散さなかに悩んでいた大野
2019年1月27日夜の会見によれば、大野智さんは14年11月の「結成15周年」を終えたのち、「徐々に」活動休止を考え始めたという。
まさにこの時期、ジャニーズ事務所は「SMAP解散」に揺れていた。15年1月、週刊文春のインタビューをきっかけに、事務所内での軋轢が表面化、そして1年後の16年1月には解散報道にいたる。いったんは沈静化するものの、8月には結局解散が発表され、12月いっぱいでSMAPは活動を終了する。
大野さんが最初に意向を4人に伝えたのは、17年6月16日だ。この2日後の18日、ジャニーズ事務所は稲垣吾郎さん、草なぎ剛さん、香取慎吾さんの退所を発表している。16日のタイミングではすでに週刊誌報道などを通じ、「2人残留・3人退所」が既定路線となっていた。悩む大野さん、そして4人に、先輩のこうした動向が影響を与えなかったとは考えづらい。
同じ月、TOKIO山口さんの事件が
この18年2月は、ジャニーズにとって「厄月」だった。2月12日、TOKIOの山口達也さんが、未成年女性への強制わいせつ事件を起こしたのだ。
4月末に事件が発覚すると、事務所は対応に追われることに。結局、山口さんが退所、芸能界からも引退することで決着した。これと前後して、渋谷さんが4月15日に退所を発表したのに対し、大野さんの折衝はこの混乱もあってか、4か月という長期に及んだ。
昨27日の会見で、当初「退所」を考えていた大野さんが、「休止」という結論にいたったのは、「メンバーと、事務所の方と話す中で」のことだったと明かしている。事務所側からすれば、(事情はそれぞれだが)元SMAPの3人、渋谷さん、そして山口さんと退所が相次いでいたタイミングだ。大野さんまで事務所を去ることは、なんとしても避けたかっただろう。こうして6月、ひそかに「20年いっぱいで活動休止」が決定する。
一連の動きの陰で、もう一人葛藤していたのが、滝沢秀明さんだ。17年9月、タッキー&翼が活動休止に。最終的に18年9月、引退し後進の育成に徹することを発表する。
すでにSMAPは解散、TOKIOは打撃を受け、嵐も休止する。これらのグループに取って代わるほどの次世代は、まだ登場していない。事務所としては、嵐が一時退場する20年末までに、新たな大看板を作らなくてはいけない。滝沢さんの「電撃引退」も、こうした事務所全体の状況を考えると説明がつきやすい。