保阪正康の「不可視の視点」
明治維新150年でふり返る近代日本(28)
「バイブル」が変質させた軍人教育

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   昭和陸軍を中心とした軍内教育は、なぜあのような神がかりの内容になったのであろうか。むろん軍内だけではなく、日本社会がファシズム国家となっていったのだから、国民が臣民としての位置づけをされ、天皇を神格化することによる独自の社会体制をつくったとも言える。それは明治初期からの「近代化イコール西洋化」といった路線を直進的に進んできた国家像への反動ということもできた。昭和は明治期の富国強兵政策を支える心理的基盤に攘夷の思想を置こうと試みたともいえた。

  • ノンフィクション作家の保阪正康さん
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  • 軍人は大日本帝国憲法上の保障は受けられなかった
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軍人は大日本憲法上の保障は受けられない

   こと軍内に限れば、「国体の本義」という国民教育に加えて「戦陣訓」「皇軍史」といった軍内教育による神兵化が進むことになった。近代日本が選択した国家像のひとつである帝国主義国家の現実がここにはあった。いわばそれが可視化した歴史ということができたのである。この「戦陣訓」と「皇軍史」といった昭和の軍内部のバイブルを解剖していくことにするが、ここであえて明治期の軍内部での軍人教育は決してこうした方向を目指していなかったことを確認しておきたい。その確認を元に、軍内部のバイブルの異様さを明かしていくべきだと思う。

   大日本国憲法は第32条により軍人に対しての特例の規定を設けている。さらに第31条の非常大権もあるが、これらは臣民に対する諸権利の保障とは全く別個の規定である。つまり軍人は政治的、社会的に極めて限定された存在だというのが、憲法発布のころの基本的了解であった。では臣民とは別に限定された存在の軍人とはどういう意味なのか。松下芳男の『明治軍制史論(下)』には「軍人とは、軍隊の所属員たる軍人、即ち現役軍人及び召集中の在郷軍人を意味するものである」といっている。その上で、軍隊はその性格上、軍紀によって結束を図るべきであり、一般の臣民とは二つの大きな特徴を持つことになると定義する、松下著によると次の二つである。

(1) 陸海軍に特別なる法令を定めて、一般国民に適用される法律の効力を、特に軍人に対して除外すること。
(2)軍隊内部の規律により、法律に基かずして、その自由を拘束することが許されるものとされていること。

   いわば軍隊としては当たり前のことといえるのだが、特に重要なことは、一般国民に与えられている権利と軍法軍令とが抵触するときは、その権利は軍人には適用されないということだ。軍人は憲法上の保障は受けられないことになる。この保障には、居住移転の自由がない、軍人は法律で定めた裁判官以外の裁判を受ける。いわば軍法会議での裁判だ。さらに言論、集会、結社などの自由はない。政治に関わりを持つことは禁止されている。そのほかにいくつもの制限はある。

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