安田講堂事件50年、あのとき何が起きていたのか 法学部出身者が相次ぎ「東大闘争」回顧本

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   東大安田講堂の攻防戦から半世紀。このところ当事者による東大闘争の回顧本が相次いでいる。中でも目立つのは超エリートとされる、法学部出身者による闘争体験記だ。それぞれ過去の逮捕歴も明かしている。

   著者はいずれも70歳前後のシニア世代。本人や関係者がおおむね現役を退き、気分的にも当時のことを思い切って書けるようになったことが大きいようだ。

  • 1969年1月19日の東大安田講堂(写真:Fujifotos/アフロ)
    1969年1月19日の東大安田講堂(写真:Fujifotos/アフロ)
  • 1969年1月19日の東大安田講堂(写真:Fujifotos/アフロ)

東大生逮捕「わずか9人」は本当か

   安田講堂攻防戦は1969年1月18、19日の二日間にわたって繰り広げられた。数百人の学生が講堂内に立てこもり、封鎖を解除する8500人の機動隊と対峙した。68~69年に全国の大学で多発した学園闘争を象徴する事件として有名だ。

   2018年末に出版された『東大闘争 50年目のメモランダム――安田講堂、裁判、そして丸山眞男まで』(ウエイツ刊)は、実際に安田講堂に立てこもって逮捕され、実刑判決を受けた和田英二さんの体験記だ。1968年に東大闘争が始まったときは法学部の3年生だった。7月に東大全共闘が結成されると、もともとノンポリで、マルクスも吉本隆明も読んだことがなかった和田さんも法学部闘争委員会(法闘委)に参加した。現在は自由業(東大闘争研究家)だという。

   和田さんが特に力を込めて調べているのは、安田講堂事件の逮捕者数だ。当初はマスコミによってばらばらだったが、377人と結論づけている。そのうち東大生については「わずか9人」とか「20人」などと報じられたことがあったが、実際には65人が起訴され、逮捕者は80人以上。法学部だけでも20人が捕まったという。

   和田さんは未決囚として中野刑務所に69年8月まで勾留され、独房生活。72年に控訴審判決が出て75年に執行猶予期間が満了した。「私は六九年から六年かけて、安田講堂攻防戦の責任をとったことになる」と書いている。

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