稀勢の里引退 「昔ながらのお相撲さん」がブルーハーツ熱唱した夜

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   大相撲の横綱稀勢の里(32)=田子ノ浦=が2019年1月16日、引退を表明した。初場所で初日から3連敗を喫し、ついに引退を決断した。3日目の栃煌山(31)=春日野=との一番が最後の相撲となった。

   兵庫県芦屋市の病院で生を受けた稀勢の里は、3600グラムの大きな赤ん坊だった。出生後、茨城県に移り、小学2年で相撲を始めた。小学校では相撲の他に野球のチームに入り、中学校では野球部で活躍した。

  • 「昔ながらのお相撲さん」が土俵を去った(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)
    「昔ながらのお相撲さん」が土俵を去った(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)
  • 「昔ながらのお相撲さん」が土俵を去った(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

職人気質、頑ななまでにまっすぐな男

   当時から運動神経が良かった稀勢の里は、中学時3年時にすでに身長が180センチを超え、投手として高く評価されていた。茨城県内の野球の強豪校からスカウトされたほどだったが、稀勢の里が選んだのは相撲の道だった。

   中学卒業後に鳴門部屋に入門し、2002年夏場所(5月)で初土俵を踏んだ。稀勢の里と同じ1986年(昭和61年)生まれの力士は出世した者が多く、後に14人が関取となった。昭和61年生まれにちなんで稀勢の里の世代は「花のロクイチ組」と呼ばれている。

   稀勢の里を一言で称すると「昔ながらのお相撲さん」である。

   スポーツ紙で大相撲を担当していた当時、稀勢の里は勝っても負けても言葉が少ない力士だった。昭和30年代、40年代生まれの力士は中卒の叩き上げが多く、総じて口数が少なかった。職人気質の昔の力士は、負けた日に報道陣に背中を向けて口を閉ざす力士も多かった。そんな力士たちと稀勢の里はかぶって見えた。

   稀勢の里のすべての振る舞いは、まさに職人気質だった。相撲に取り組む姿勢は頑ななまでにまっすぐで、支度部屋ではグッと感情を押し殺し、多くを語らない。稀勢の里には、平成の大横綱貴乃花と同じような雰囲気があった。

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