「心に残る演技」ができる「いい役者」
子供のころはおてんば。木登りなどが得意で、声がよく通った。中学、高校時代は演劇部。高倍率を突破して俳優座演劇研究所に入り、3年間、徹底的にしごかれた。俳優座の団員として多くの舞台を経験し、稽古に明け暮れたことで演技派としての実力を磨いた。
強烈な思い出は、研究所員だったころ、大先輩で憧れの二枚目大スター森雅之さんに声をかけられたこと。「キミ、どこの出身」「千葉です」「千葉の顔だね」と言われ、崩れ落ちるようなショックを受けたが、逆に劣等感をバネに、「心に残る演技」ができる「いい役者」を目指したと、著書『ひとりごと』(春秋社)で振り返っている。
「朗読」には特に力を入れ、30年以上続けた。野坂昭如さんの『戦争童話集』や、知的障害がある主人公と村人との戦争中の交流を描いた森はなさんの『じろはったん』など、一人芝居のような迫力で聴衆を圧倒した。地方公演でも1500人の会場を満席にする人気だった。
「私の朗読は、死とか戦争とか暗い話が多いといわれるけれど、私自身の現在は、戦争を抜きにしては語れない」(著書『ひとりごと』より)
11年、福島第一原発事故に関連して「原発ゼロをめざす7.2緊急行動」呼びかけ人を務めた。14年には集団的自衛権に関連した朝日新聞のインタビューに登場、「『自衛』とか『戦争の抑止力』とか信じられない」と、戦中派としての「非戦」の思いを語っていた。
16年11月から体調不良で入院、17年1月13日、事務所が「自己免疫性脊髄炎の加療のため休業」を発表していた。