日本軍の戦略、戦術について、太平洋戦争の総括として前回に5つの条件を書いておいた。これらは私が長年にわたり、昭和史を分析してみてたどり着いた到達点でもある。この5条件は日本の軍事学を組み立てる上での基本的な条件であり、欠かすことのできない思想、あるいは理念といっていいのではないかと思う。
この5条件を貫く軸だが、私たちはこの国の成り立ちから、変化を繰り返すさまざまな時代に、それぞれの人たちの役割は何だったか、この国はどのような精神で成り立っていたかを確認しなければならないと考える。そこでまず、昭和10年代はどのようにしてあのおかしな価値観の横溢する空間になってしまったのかを分析しなければならない。
天皇機関説排撃運動との密接な関係
その手がかりに1937(昭和12)年に文部省教学局が刊行した『国体の本義』からみていくことにしたいと思う。この書を読み解くことによって昭和10年代の神となった天皇の位置には、多くの過ちが凝縮していたように思える。あえていうならば、この国体の本義を土台にして戦陣訓ができあがったともいえるからである。この書は、まず以下のように書かれている。本書の骨格といってもいいのだが、次のように要点が絞られている。箇条書きにしてみよう。
(1)本書は国体を明徴にし、国民精神を涵養振作すべき刻下の急務に鑑みて編纂した。
(2)我が国体は宏大深遠であって、本書の記述がよくその真義を尽くし得ないことを懼れる。
(3)本書に於ける古事記、日本書紀の引用文は、主として古訓古事記、日本書紀通釈の訓に從ひ、又神々の御名は主として日本書紀によった。
まずこの3点を明かしている。いうまでもなくこれは、1935(昭和10)年に起きた天皇機関説排撃運動、国体明徴運動と極めて密接に結びついていることが明白である。神格化した天皇像を歴史的に補完しようというのが狙いでもあった。2・26事件以後に急速に力を持っていく皇国史観のバイブルといってもよかった。今なぜこの国体の本義を刊行するかについて、冒頭の緒言で述べてもいる。それもいくつかの部分を引用しておこう。
「我が国は、今や国運頗る盛んに、海外発展のいきほひ著しく、前途弥々多望な時に際会している。(略)支那、印度に由来する東洋文化は、我が国に輸入せられて、惟神の国体に醇化せられ、更に明治、大正以来、欧米近代文化の輸入によって諸種の文物は顕著な発達を遂げた」
「明治維新の鴻業により、旧来の陋習を破り、封建的束縛を去って、国民はよくその志を遂げ、その分をつくし爾来七十年、以て今日の盛事を見るに至った」
こう述べたあと、確かに国の発展はめざましいものがあると言ったうえで、ややもすれば国体の本義は忘れ去られ、「学問、教育、政治、経済、その他国民生活の各方面に幾多の欠陥を存し」た状態になったという理解であった。これからの難局に際し、国体の本義に帰るべき時だと繰り返すのである。欧米の文物を受け入れることに急であれば、その思想にも簡単に染まってしまうとも書いている。日本の古来からの思想に今こそ学ぶべきだと強調するのである。
兵士を「神」にすれば人間として扱わなくてよくなる
そのうえで「第一 大日本国体」の章から、順次解説を加えていく。この章の最初は「肇国」で、この説明は大日本帝国の始まりから記述していく。「大日本帝国は万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ」という表現が全てを語っている。この冊子は本文156ページであるが、その内容はこの点に凝縮している。先に紹介した引用文はこの天皇制の根拠を示し、そのうえで八紘一宇の精神を説くのである。
この「国体の本義」と「戦陣訓」、そして1943(昭和18)年に陸軍の教育総監部から出された「皇軍史」の3冊を読んでいくと、陸軍の考えている大まかな軍事学がわかる。さらに軍事学に何が欠落しているのか、それがわかってくる。さしあたり国体の本義に目を通していけば、皇軍は神の軍隊、つまり天皇という神に仕える神兵、それはこの世に特別の役割を与えられて存在するというのであった。その役割を自覚させるのが、前述の3冊の書であった。
兵士を神とした瞬間に、軍事指導者達は兵士を人間として扱わずにすむことを知った。だからどのような作戦も命じることができたのだ。そこを分析していかないと日本軍の本質は浮かんでこない。(第28回に続く)
プロフィール
保阪正康(ほさか・まさやす)
1939(昭和14)年北海道生まれ。ノンフィクション作家。同志社大学文学部卒。『東條英機と天皇の時代』『陸軍省軍務局と日米開戦』『あの戦争は何だったのか』『ナショナリズムの昭和』(和辻哲郎文化賞)、『昭和陸軍の研究(上下)』、『昭和史の大河を往く』シリーズ、『昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書)など著書多数。2004年に菊池寛賞受賞。