国際的な旅行ジャーナリストの草分けとして活躍した兼高かおる(本名:兼高ローズ)さんが2019年1月5日、心不全のため亡くなった。90歳だった。9日に各社が報じた。
TBSテレビ系の人気長寿番組「兼高かおる世界の旅」を通して、お茶の間に外国の最新情報を送り届け続けた。海外旅行ブームの火付け役でもあった。
「美ぼうと語学力、冒険心」
1928年、神戸市の生まれ。子供のころに東京に移る。父親は貿易関係の会社を経営していたという。香蘭女学校を卒業して、米国・ロサンゼルス州立大に留学、帰国後は英字紙のフリー記者をしていた。
58年、たまたま「80時間世界一周」に挑戦したアメリカ人男性を取材する機会があった。時刻表を調べているうちに、スカンジナビア航空を上手に使うと、もっと早回りができることに気づき、73時間台での一周に成功。いちやく注目を集め、59年からTBS(当時はラジオ東京)の社長の肝いりで「世界の旅」が始まった。
日本人がまだ自由に海外旅行することが難しかった時代。「美ぼうと語学力、冒険心」(朝日人物事典)で憧れの人になった。番組は90年まで31年間続き、150か国以上を訪れ、地球を180周したという。キューバ危機のさなかにケネディ大統領に会見したほか、画家のダリ、テニスのビヨン・ボルグ、英国のチャールズ皇太子など世界の要人やセレブらにもインタビュー、諸外国との「親善大使」のような役回りも務めた。
番組を通じ国際理解を深めたということで、80年に日本女性放送者懇談会賞、90年に菊池寛賞、91年に文化庁芸術選奨文部大臣賞を受賞した。日本旅行作家協会の名誉会長、東京都港区国際交流協会会長、兵庫県の淡路島にある「兼高かおる旅の資料館」名誉館長なども務めた。
「私のだんなさまは『世界の旅』でした」
「兼高かおる世界の旅」は放送界の海外旅行番組のはしりだった。最初の取材で羽田空港を出発したときはプロペラ機。派手な横断幕で見送られた。今のように現地コーディネーターなどおらず、取材、演出、語りなどを一人でこなした。兼高さんの「...ですのよ」という上品な語り口も魅力になってファンを広げた。ミス・ユニバース日本代表になったタレントの萬田久子さんや、俳優の神田正輝さんらも子どものころ、この番組で海外への夢をふくらませたという。
64年に海外旅行が自由化し、70年にはジャンボ機が就航して本格的な海外旅行ブームの幕が開く。そうした中で、「すばらしい世界旅行」(日テレ、66~90年)、「なるほど!ザ・ワールド」(フジ、81~96年)、「世界ふしぎ発見!」(TBS、86年~)など多くの海外紀行型番組が続いた。最近ではBS放送でいくつもの旅番組が競い合うなど、テレビの必須コンテンツとなっている。
番組が続いていたころ、兼高さんの生活の99パーセントは「世界の旅」で占められ、日本にいないことが多かった。帰国した時も、番組の準備や編集などの作業で追われた。番組が終わった時は62歳。後年、著書『わたくしが旅から学んだこと』(小学館)では、こう振り返っていた。
「私のだんなさまは『世界の旅』でした」