「僕は平尾誠二にはなれないですけど...」
平尾さんは生前、
「薮木、『世界を相手に勝負しようや!』、『世界を相手に仕事せな、アカン!!』と、よく言っていました。まるで『平成の坂本龍馬』のような方でしたね」
関西弁でまくし立てられた記憶を、薮木氏は忘れない。
そんな中での、突然の訃報だった。死因は「胆管細胞がん」。事前に知らされていたという薮木氏は、
「(事前に知っていたのに)マスコミの皆さんには公表できず、本当に申し訳なかったと思っています。ただ『周囲に心配や迷惑をかけたくない』という、常に配慮を忘れなかった平尾誠二という男の生き様をリスペクトしたかったので...。平尾さんらしい、いい形で送り出したかった」
と、辛かった心情を吐露した。
しかしながら、
「(ラグビーW杯日本大会に関して)キツいこと、しんどいこと...いろんなことがありますけど、平尾さんが上(天国)から見ていてくれると思うと、そんな困難も忘れて、邁進できます」
と、語気を強める。
続けて、
「仕事でも交渉でも、ラグビーと同じで、変幻自在でした。相手の話はよく聞くし、何より言葉や表現力に長けた方でしたね。プレー中でも仕事でも『無理に相手を説得』するのではなく『必ず相手が納得する話し方』をする...。何というか...心の広い、すばらしい方でした。僕は平尾誠二にはなれないですけど、平尾さんの夢へ1歩でも近づけるように、日々、努力していきたいです」
天国の平尾さんへ――。日本大会開催の成功、そして日本代表の活躍を、どうか見守っていてください。薮木さんはもとより、微力ながら元ラガーマンだった私も、全力を尽くして頑張って参る所存です。
さあ、時は満ちた。行くぞ、2019年ラグビーW杯!
(J-CASTニュース編集部 山田大介)