平成元年(1989年)春、今も続く人気アニメシリーズ劇場版の第1作が放映された。「それいけ!アンパンマン キラキラ星の涙」。以降、毎年1本のペースで製作され、昨2018(平成30)年には、第30作の記念作品「(略)かがやけ!クルンといのちの星」が公開され、人気を博した。
映画化の前年秋にはテレビアニメ(日本テレビ系)も始まり、こちらも現在まで放送が続いている。原作者やなせたかしさん(2013年に94歳で死去)が、1973年に月刊絵本「キンダーおはなしえほん」(フレーベル館)に「あんぱんまん」(ひらがな表記)を掲載して始まったキャラクターは、アニメ化・映画化で新たなファンを獲得し、平成という時代を駆け抜けた。
映画第1作などの監督を務め、テレビ版もスタート時から関わる永丘昭典さん(65)に話を聞いた。
映画版の第1作は「平成元年」
――映画版の監督としては、第1作から第20作までの間で、初期の作品を中心に計10作(うち1作は共同監督)を担当され、1400話(1話2エピソード)を超えるテレビ版では今も監督をお務めです。
この30年間の(映画・テレビ)作品を通して、「変わった点」と「変わらない点」は、それぞれ何でしょうか。
永丘:大きく変わったことといえば、アニメ作りの技術的なもので、セル画を手作りして...といったアナログ方式から、パソコンを使ったデジタルになりました。平成の30年間でいえば中ごろ(平成15年頃)からです。
デジタル方式の導入は、他のアニメでは既に始まっていましたが、当初は「アンパンマンらしい手作り感」や「独特の色合い」に影響が出るかもしれない、と見送っていました。しかし、時代の流れもあって導入してみると、問題はなく大丈夫でした。まあ、それなりの苦労はありましたが。出来栄えに変わりはなく、観ている人は、違いに気付かないでしょう。
――技術的な面以外、たとえばキャラクターの描き方などの面ではいかがですか。
永丘:基本的には変わらないのですが、微妙な変化はありますね。たとえば、アンパンマンの手は、(今はボール状だが)テレビ版の初期では指が5本あったんですよ。キャラクターの数も増えており、やなせ先生のオリジナルのものだけでなく、今も1年間に2~3キャラは誕生しており、2200体を超えています(編注:「単独のアニメシリーズでのキャラクター数」が世界最多として、09年に1768体でギネス世界記録に認定された)。
また、ばいきんまんとかが「コノヤロー」といった乱暴な言葉を使っていた頃もありますが、そうした表現は避けるようになりました。それは、テレビ版のメインターゲットの視聴層が未就学児だと分かったからです。
スタート当初から視聴率も予想を大きく上回るほどの人気で、作品の影響力を意識するようになり、「小学校入学前の子供が(乱暴な言葉を)真似しないように」「お父さんやお母さんが『子供が真似をしないだろうか』と心配せずに楽しめるように」と考えました。