「ポーニョポーニョポニョさかなの子...」
スタジオジブリ作品「崖の上のポニョ」(2008)の主題歌を歌っていた、愛らしい女の子と渋いおじさんの3人組ユニット「藤岡藤巻と大橋のぞみ」を覚えているだろうか。当時小学3年生だった大橋のぞみさんの後ろでは、ギター担当の藤岡孝章さん、ポニョのパペットを持った歌担当の藤巻直哉さんが存在感を放っていた。
その後、大橋さんは2012年に引退。では、その「藤岡藤巻」の2人は今何をやっているのか――。J-CASTニュースは、「藤岡藤巻」の藤巻さんを取材した。
ツイッターフォロワー数116人、YouTube登録者数47人
藤岡さんと藤巻さんは、70年代にはもう1人のメンバーとともに「まりちゃんズ」として活動していた。「藤岡藤巻」は小学校の同級生だった藤岡さんと藤巻さんが2005年に結成したユニットで、名づけ親は親交があった音楽プロデューサーの秋元康さん。2008年の「第50回 輝く!日本レコード大賞」(TBS系)では「崖の上のポニョ」で特別賞を受賞。同年の「第59回NHK紅白歌合戦」をもって「藤岡藤巻と大橋のぞみ」としての活動を終了した。
藤岡藤巻の楽曲は、バレンタインデーへの思いを綴った「死ね!バレンタイン・デー」、息子に現実を諭す「息子よ」など、どこか哀愁が漂う。「崖の上のポニョ」を機にメディア露出が増え、世にその名を知らしめた藤岡藤巻だが、2008年の紅白歌合戦以降、忽然と姿をくらましていた。
しかし2018年2月、藤岡藤巻は突然ツイッターを開設、2月23日には7年ぶりのライブを行った。さらに調べてみると、17年11月にはYouTubeチャンネルを開設していたようだ。18年12月21日時点で、ツイッターのフォロワー数は116人、YouTubeのチャンネル登録者数は47人と紅白出場歌手にしては少し物寂しい気もする。
J-CASTニュースはなんとか2人にコンタクトを取ろうとしたものの、すでに事務所との契約は終了。なかなかその行方が見つからない。あちこちに電話をかけるうち、ようやく藤巻さんと出会うことができた。18年12月11日、都内某所で藤巻さんにインタビューを行った。
宮崎駿さんが「いいじゃんこれで」
――なぜ「崖の上のポニョ」を歌うことになったのでしょうか。
藤巻:藤岡藤巻でライブやってたんだけど、鈴木敏夫さん(スタジオジブリプロデューサー)が毎回見に来てくれて、気に入ってくれて。ソニーからCD出したんで、それをあげたら宮崎さん(宮崎駿監督)にも渡してくれて。宮崎さんが絵描きながら、横にボロッちいラジカセがあんだけど、そこにエンドレスで藤岡藤巻を聞いてくれてたらしくて。周りの人はえらい迷惑したらしいんだけど。
藤巻さんは当時、大手広告会社「博報堂DYメディアパートナーズ」の社員で「平成狸合戦ぽんぽこ」(1994)以降、10年以上ジブリを担当していた(現在はすでに退職)。藤岡藤巻は、あくまで趣味として活動していたという。
藤巻:大橋のぞみちゃん、本当は1人でポニョ歌う予定でデモテープ撮ったんだけど、僕はスタッフの1人で。聞いたら可愛くて「いいじゃんいいじゃん」って言ってたら、宮崎さんに「女の子1人よりもお父さんの声も欲しいなあ」「仮歌でいいから歌ってくれない」って言われて。イメージとして仮歌で入れたんですけど、そしたら「いいじゃんこれで」っていう感じに...。俺は「ちょっと待ってくれ」って、「ちゃんとプロ入れましょうよ」って言ったんだけど...。
――藤岡さんは藤岡藤巻の関係で?
藤巻:そうです、ちょっと一緒にやらせてくれって。ボーカルは僕しか歌ってないんだけど。
仕事の関係でデモテープの収録に立ち会った藤巻さんは、宮崎監督の思いつきをきっかけにジブリ作品の主題歌を歌うこととなった。
大橋のぞみさんとは「たまにLINEで...」
家族に内緒で藤岡藤巻の活動をしていた2人だが、瞬く間に有名になってしまった。
藤巻:当時娘が中学生くらいで、学校の子にばれるのがいやで、「藤岡藤巻」っていうユニット名を変えてくれってすごい言われましたね。(変えなかったのは)もう出ちゃってましたからねー。
――有名になってうれしいというのは。
藤巻:もういい年してたから冷めてたよね。まあいい経験したなっていう、楽しいっていうか、普通のサラリーマンだとなかなか紅白出るのは大変だろうから。そういった意味では、いい経験できて面白かったなあっていう、だけです。
――紅白に藤岡さんがいませんでしたが、体調不良だったのでしょうか。
藤巻:一応そういう風にしといてください。
実は紅白歌合戦に出場したのは藤巻さんと大橋さんの2人。藤岡さんは当時「体調不良のため欠場」と報道されていたが...。その真相はわからない。
なお今回、藤岡さんにも取材しようとしたのだが、藤巻さん曰く、藤岡さんは忙しく予定を合わせるのが難しいとのこと。藤巻さんへのインタビュー後、J-CASTニュースは藤岡さんに電話での接触を試みたが、留守番電話に登録された「藤岡です。メッセージをお願いします」の声を聞くことしかできなかった。
――2012年に芸能界を引退した大橋さんとは、今も交流はありますか。
藤巻:高校入ったときと、大学入ったときはLINEくれたけど。高校入ったときは、マネージャーと、お母さんと(藤巻さん・大橋さん)4人でご飯に行きました。ここ何年かはたまにLINEで話すけど、会ってはいないです。
吉田拓郎とかの道を歩んでいった人には歌えない歌を歌った
――ここ7、8年まったく活動をしてなかったとのことですが、なぜいきなり18年2月にライブをやったのですか。
藤巻:17年11月かな、ブリーフ&トランクスっていう2人組のバンドがいて、彼らにどうしてもゲストに出てくれって言われて。で、説得されてやったのが7年ぶりだったんですけど。かなりウケたんで1回やってみるかって言って今年の2月にやったんだけど。今度ワンマンでやったら、結構準備が大変で。超めんどくさくなっちゃって(笑)
――YouTubeチャンネルも作られましたね。
藤巻:え?やったかなあ...?静炉巌(せいろがん)っていう仲間がいんだけど、そいつがYouTubeにあげましょうよって言ったから、勝手にやってくれって言ったんだけど。
静炉巌さんはデジタルに強いサラリーマンだといい、YouTubeにあがっている曲「嗚呼!藤巻」にも登場している。
――藤岡藤巻は悲哀に満ちた雰囲気が特徴的ですが、なぜこの路線に。
藤巻:僕らの若いころには吉田拓郎とか、井上陽水とか、泉谷しげるとか、フォークソングが全盛で、僕らも大学生だったから。彼らの歌に賛同して、僕らの代弁者みたいな気持ちで歌を聞いてたんだけど。彼らはそのまま音楽の道行って、ほとんどの学生は大学卒業してサラリーマンなっちゃったじゃないですか。20年・30年も経って、いまさら泉谷しげるや吉田拓郎の歌に何の共感も覚えないわけですよ。彼らは印税だけで暮らしていけてて、我々サラリーマンは満員電車に乗って、会社行って、働かないと食ってけないです。学生のころは共感できたけど、生活がどんどん乖離してっちゃったから、こっち行った人が歌作らないと、こっち行った人に響く歌はできないんじゃないかと思ったわけですよ。
一時オヤジバンドブームってのがあったんですけど、オヤジバンドブームは若いころのコピーだったね。もっと自分たちの心情や現実を歌ったら面白いなと思ったんだけど、あんまりそういうバンドは出てこなくて。吉田拓郎とかの道を歩んでいった人には歌えないであろう歌を歌ったっていう。僕らの同世代が共感してくれればいいなと思います。「娘よ」とかね。
藤巻さんは「まりちゃんズ」結成のきっかけも話してくれた。
藤巻:「まりちゃんズ」作ったきっかけが「あのねのね」(フォークデュオ)だったんだけど、こんな歌だったら俺たちもっとも面白いのできんじゃないかなと思って、藤岡に声かけて、一緒にバンドやんない?って言ったのが19、20歳のころ。彼らは大学の1、2年先輩だったんだけど、この程度のものでこんなヒットするんだったらもっとできんじゃないかなと言って組んだのが「まりちゃんズ」。当時は共演したことなかったんだけど、30年くらいたって「あのねのね」が再結成して復活ライブをやるときにゲストとして声かかったの。その時は「藤岡君と藤巻君」という名前で出たんだけど、そしたら「あのねのね」よりも全然ウケたんですよ。それでちょっと自信を持っちゃって。「あのねのね」はそれ以来会ってない。
藤岡さんとは「漫才師」のような関係
――小学校からお付き合いがある、藤岡さんとはどういう関係ですか。
藤巻:うーん...漫才師みたいなものだと思うよ。漫才師も仕事は一緒だけど、私生活は別々って言うじゃない。それよりは仲いいかもしれないけど、大体の漫才師は楽屋別だとか言うじゃないですか。(たしかに漫才を聞いてるような感覚)そうですよ、基本はコミックバンドで(笑)
――今後の活動はなにか考えていますか。
藤巻:何にも考えてないよ。誰かに突き動かされないとやらないんですよ、これまでも。「やろうよ」ってブリーフ&トランクスがすっごいしつこく言ってくれたんで、「そんなに言ってくれるならやろうか」ってなった。年を取ると意欲がなくなる(笑) この年になると苦しまないで死ねたらいいなっていう。あんまり夢とか目標とかビジョンとか、持ったことないんですよ。人生ほんと行き当たりばったりできたから、今が一番楽しいことは何かなって思いながらやることがほとんどです。
藤巻さんはインタビュー中、「あ、そうそうこの宣伝をしなきゃ」とおもむろに映画の宣伝を始めた。櫻木優平さんが監督・脚本を務め、あいみょんさんが主題歌を担当する映画「あした世界が終わるとしても」に、共同プロデューサーとして関わったという。
藤巻:共同プロデューサーをやっている、こういう映画が1月25日付で公開されますんで。昨日(12月10日)0号っていって、ある程度できあがったんですけど。AIを使った初めてに近いアニメーションなんだけど...これも宣伝しといてください。俺のことはいいから、これだけ。
最後に、昭和も平成も同じくらい生きた藤巻さんに、平成がどんな時代だったか聞いてみた。
藤巻:世の中が変わったことは間違いないですね。若い人は真面目ですよね。娘2人いるけど、親が心配するくらい真面目ですよ。僕らの世代はふざけきってますよ。
豊かになったのはいいんだけどそれぞれに個室ができて、自分の部屋に閉じこもるようになって、家族のつながりも薄くなって。豊かになれば幸せになると思っていたのが、実際に豊かになってみたら、これが本当に幸せなのかなと。少子高齢化で年齢は上がっていくし子供の数は少ないし、デジタル化で瞬時に世界のことが見えるし。何が本当の幸せなの?ってわかんなくなったのが平成の間だと思うんですよ。