ドッキリで頭が真っ白に...
「ずっと番組に貢献できていなんじゃないかと不安だった」と話す三中さん。めちゃイケの収録は企画ごとによって参加メンバーが変わるため、必ずしも毎週呼ばれるわけではなかった。毎日フジテレビの食堂で朝から晩までアルバイトをしていたという。そんな中で、平成26年(2014年)に三中さんにとっての大きな転機があった。めちゃイケの企画で、岩手・盛岡のプロレス団体「みちのくプロレス」に入団し、プロレスラーを目指すことになった。
――企画を最初に聞いたときはどう思いましたか?
三中:あれ、まったく聞かされていなかったんですよ。あるとき、打ち合わせがあるので家にいてほしいとスタッフさんに言われて待っていたら、突然岡村さんが現れて。そこで盛岡行きの(新幹線)チケットを渡されるんですけど、何も言わないんですよ。盛岡に着いて岡村さんとタクシーに乗るんですけど、どんどん山に入っていくので怖くて。タクシーを降りたら小屋みたいなのがあって、体格のいい男性が立っていました。みちのくプロレスの社長でした。
――プロレスジムに着くまで何も明かされなかったんですね。
三中:そこで岡村さんが「社長、三ちゃんをお願いします」と頭を下げて、社長が「明日から三中くんを立派なプロレスラーにします」と返して、そこで初めてわかりました。プロレスは観るのもやるのも苦手なんで、頭真っ白になりました。これがめちゃイケのドッキリのすごさなんですけど、こればっかりは事前に言ってほしかったですね(笑)。
――翌日からすぐにトレーニングが始まるんですよね。
三中:いきなり「スクワット500やってください」って言われて。冗談かなと思って(笑)。でもガチなんですよ。最初は40回が限界でした。途中から、(500回)できるようになるんですけど、300をこえるときつかったです。
――やっぱりトレーニングはきつかったですか?
三中:デビューするまで帰れないと聞かされていました。10か月くらい、トレーニングだけをしていました。でも(腹筋などの体力)テストに受からない。体がついてこないんです。
――精神的なストレスもありましたか?
三中:精神状態が不安定でした。早く帰りたい、でも今やっているトレーニングをクリアすると、明日からにはもっとつらいことが待っている。プロレスの現場も観にいったんですが、血だらけのレスラーの方をみて、足がガクガクして。テストに合格したらこれをしないといけないんだと思って、また怖かったです。
――それで辞める決断をするわけですね。
三中:今考えたら、迷惑をかけたなと思います。みちのくプロレスさんも早く僕をデビューさせないといけないプレッシャーがあったと思うんです。番組の企画なので、画的にもずっと変わらないのはと。でも怖くて先に進めない。これ以上続けていても(デビュー)できないんじゃないかと思って、スタッフさんに相談しました。