あのころは、みんなニコニコだった 25歳になった「山下威豆三(伊豆見)」が語る、「配信者」たちの平成ネット動画史

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当時の動画事情

   平成19年(2007年)から活動を本格化させ「山下伊豆見」としてニコニコ動画に登場。幼げなルックスと裏腹に突然暴れるなど奇怪な動画で注目を集めはじめた。

――今ですとアイドルさながらにファンがつくこともありますが、当時はいかがでしたか?

山下:動画にコメントがついたり、アップロードに手間がかかるから、ちゃんとアップされると達成感があったというか。もうその時はパソコンの画面に自分が映っているだけで有名人の気分だった。最初に撮ったのは自己紹介だけの15秒くらいの動画。でも、最後に少しだけ顔を出したんだよね。これが山下として初めてのやつ。PSPにつけるカメラをおじいちゃんに買ってもらって撮影し始めたよ。

――その動画の反響はありましたか?

山下:当時13歳だったけどネットに顔出したことは親にこっぴどく怒られたよ。ただ、子どもが顔出す動画って珍しくて、再生数は1万を超えてたし、コメントは5000件もきてた。たった15秒の動画でびっくりだよ。ニコニコ動画(γ)が始まったばかりだったと思うな。
当時を振り返る山下さん
当時を振り返る山下さん

――それだけすぐ反響があるのはインターネット特有ですね。

山下:子どもの顔出しなのと、母数自体も配信者って意味では全然いなかったのもあるのかな。当時は釣り動画が多かったかな。今と違ってフィッシング詐欺的な要素は少なかったよな。単なるいたずらで可愛かった。ブラクラも含めていたずら心。ただスペックが低くて、いたずらでも変な動作されるのはたまったもんじゃなかったけど。

――今でこそユーチューバーは高い知名度を誇っていますが、当時の有名人は誰でしたか?

山下:99年から2ちゃんねるにショートムービーをアップしてたテレホマンの永井先生、ライブドアの「ねとらじ」(編注:2001年に開設されたインターネットラジオの配信サイト。元々は個人が運営しており、04年にライブドアに譲渡。その後創立者に戻り、現在はFC2の手にわたっている)DJから出てきた佐々木さん、ニコ動発では先駆的存在だった藤崎さんが三大配信者って位置づけだったかな。テレビ出演をきっかけにネットに出てきたニート鈴木もインパクトあったね。当時はテレビとネットが連動して、一般人がネットに出るのが珍しかった。

――既に人気を博していた人がいたのですね。山下さんはその流れに乗れましたか?

山下:親に怒られたのもあって一旦顔は引っ込めたんだ。数か月くらいね。でも、その配信は納得したよ。コテハン時代以降は永井先生も顔出してなかったから。
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