サザンがTSUNAMIを再び歌う日 「平成の区切り」で封印は解かれるのか

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地元の自治体でも、曲を流すことに理解を示したが...

   サザンの桑田佳祐さんも、レコード会社などを通じて事前に佐藤さんらのことが耳に入っていた。番組最終回当日の26日になって、桑田さんが、被災した町民を励ましに女川町を訪れた。地元の温泉施設でライブ演奏まで行い、デビュー曲「勝手にシンドバッド」など数曲を披露した。桑田さんの番組「やさしい夜遊び」でも、その様子が同時に流された。

   桑田さんが当のTSUNAMIを歌うことはなかったが、歌った中には、「波乗りジョニー」(2001年発売)もあった。「歌の意味が伝わってきて、感動しました。それが桑田さんの答えだったと思います」と佐藤さんは振り返る。プロデューサーの大嶋さんも、「『津波を乗り越えて もう一度がんばれ』とエールをもらったように感じた人が多かった」と言う。

   3月29日には、女川さいがいFMの閉局に合わせて、このタイミングだからかけられるとして、今度はTSUNAMIのCDをオンエアした。女川町の須田善明町長が生出演し、被災地としての思いを込めて、こんな曲紹介をした。

「むしろ歌い継がれていくこと、語り継がれていくこと、そこにこそ意味があるだろうと思い、それが1人1人の心に届いていくんじゃないでしょうか」

   曲を流したことについて、町民からの抗議などはなく、むしろ歓迎する声の方が多かったという。地元の自治体でも、TSUNAMIを流すことに理解を示した形だ。

「町長が曲を流したことには、インパクトがありました。『歌も被災した』と言っておられましたね」(佐藤さん)。「特に打ち合わせしたわけではなかったが、見事にその場にいた全員の想いを代弁したような曲紹介だった」(大嶋さん)。

   とはいえ、当のサザンは、その後もTSUNAMIを歌う機会がない。2018年6月25、26日に東京都渋谷区内のNHKホールでデビュー40周年を記念したライブがあり、サザンとしては、3年ぶりに本格的な活動を再開したが、ここでも披露されなかった。

   8月1日に発売されたアルバム「海のOh, Yeah!!」では、なんと1曲目にTSUNAMIが収録されている。桑田さんが自らのラジオ番組で7月に語ったところによると、ディレクターから1曲目にすることを提案され、桑田さんらも「これはいいんじゃないか」と納得したそうだ。そして、番組では、桑田さんの曲紹介で、TSUNAMIがオンエアされたのだ。

   アルバムの説明によると、TSUNAMIは、サーフィンのビデオを見ていて曲想がひらめいたといい、「見つめ合うと」「お喋り出来ない」といった歌詞は、男の純情を歌い上げたものだとしている。曲中でも、「津波のような侘しさ」と言葉が例えに使われている。つまり、津波の災害とは、直接関係のない内容であるわけだ。

   サザンは、TSUNAMIが発売された2000年以前は、前衛的な試みに挑戦してセールス上の低迷が続いたともされている。しかし、彼ららしい原点回帰のこの曲で、デビュー当時のような勢いを取り戻した。改めて国民的なバンドとしても認知されるきっかけを作った、サザンにとってはなくてはならない記念碑的作品でもあるようだ。

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