敗戦理由を「国政指導者と国民の『無気魂』」に押し付ける
私は、この一文の中にあまりにも理不尽な表現を見て驚いたのだが、指導者がひとたび責任逃れを図るとこのような論理を用いるのかということがわかった。初めに外務省への批判を行い、受諾の意思を伝えるのは「何おか請はん」と怒る。最後の一瞬で勝敗は決まると言った軍人らしい都合の良い言い方を繰り返している。そして開戦の経緯を自らに都合よく解釈して記述を続け、次のように書くのである。
「事志と違ひ四年後の今日国際情勢は危急に立つに至りたりと雖尚ほ相当の実力を保持しながら遂に其の実力を十二分に発揮するに至らず、もろくも敵の脅威に脅へ簡単に手を挙ぐるに至るが如き国政指導者及国民の無気魂なりとは夢想だにもせざりし処之れに基礎を置きて戦争指導に当たりたる不明は開戦当時の責任者として深く其の責を感ずる処(以下略)」
この一節は東條の本音であろう。同時にもし本土決戦になって東條のような考えで戦争指導に当たったならば、この国は間違いなく滅亡したことであろう。戦争はもう限界点を超えているのにそれでもなお戦えというのは、自らは後方でひたすら聖戦完遂と叫んでいればいいといった状態であることさえ忘れている。兵士(国民)を自在に操る立場での極めて得手勝手な言い分に慄然としてしまうのである。
自分の思う通りにならない国民、そして政治指導者、ひいては天皇にまで含めて批判を続けるその態度に私たちは何を見れば良いのか、そのことが問われていると言えるのでないか。その上で明治初期の帝国主義の道を歩んだ大日本帝国はついにこのような指導者を生んで、幕を閉じたと言っていいのではないかと思う。全ての責任を国民に押し付けて、全く恥じることのない指導者の姿により大日本帝国は崩壊したのは、あるいは当然の帰結だったのである。(第25回に続く)
プロフィール
保阪正康(ほさか・まさやす)
1939(昭和14)年北海道生まれ。ノンフィクション作家。同志社大学文学部卒。『東條英機と天皇の時代』『陸軍省軍務局と日米開戦』『あの戦争は何だったのか』『ナショナリズムの昭和』(和辻哲郎文化賞)、『昭和陸軍の研究(上下)』、『昭和史の大河を往く』シリーズ、『昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書)など著書多数。2004年に菊池寛賞受賞。