2018年も残すところわずかとなった。この時期、プロ野球界で行われるのが、選手と球団による契約更改だ。
シーズン終了を機に若手選手から行われるのが慣例で、主力選手は12月に入ってから球団と交渉するケースが多い。今月11日には、巨人の坂本勇人内野手(29)が契約更改を行い、年俸1億5000万円アップの5億円(金額は推定)でサインした。
他のスポーツではプロレスくらい
プロ野球界では恒例となっている契約更改後の記者会見。ここで年俸などが「公開」されるわけだが、日本のプロスポーツ界において契約更改後に選手がこのような会見を行うのは、プロ野球とプロレスくらいで、他のプロスポーツにはあまり見られない光景だ。サッカーは、ほとんどが代理人を通じて契約更改が行われるため、選手が表立って出てくることは少ない。
かつては小学生男子の「将来なりたい職業」ランキングで常にトップの座にあったプロ野球選手。一般のサラリーマンでは稼ぐことが不可能なほどの高額の年俸は、野球少年たちにとってひとつの憧れで、選手自身の側にもステータスだった時代もあった。
個人情報の保護が叫ばれる今日において、プロ野球選手はいまだ年俸を一般に「公開」され続けるが、この慣習はいつごろから始まったものなのだろうか。
個人事業主であるプロ野球選手は毎年、シーズン終了後に球団と契約更改に臨む。70年代初頭からすでに行われてきたものだが当初、新聞報道で選手の年俸が大々的に報じられることは少なかった。当時を知る運動部の元新聞記者によると、1974年あたりから一般紙でもプロ野球選手の契約更改が大きく報道され始めたという。
きっかけになったのはあのレジェンド
74年の12月31日付けの各紙の紙面には、巨人・王貞治氏の契約更改に関する記事が大々的に掲載されている。この年、王貞治氏は2年連続で3冠王に輝き、日本人のプロ野球選手として初となる年俸6000万円超えを果たした。年俸6000万円超えは、メジャーリーグでもディック・アレン(ホワイトソックス)、ハンク・アーロン(ブリュワーズ)の2人しかおらず、世界で3人目だった。
以下は当時の各紙紙面の見出しである。
「王、六千万円を突破」(朝日)、「王、ついに20万ドルプレーヤー」(読売)、「王 初の6000万円プレーヤー」(毎日)
新聞各紙の過去の紙面を振り返ると、この報道を機に、翌年からプロ野球選手の契約更改の記事が一気に増え、現在のように年末の風物詩となったようだ。
契約更改において、選手の年俸を報じる記事の文末に必ず目にするのが(金額は推定)の文言。74年当時からすでにこの注釈は存在しており、文中あるいは文末に(推定)、(金額は推定)の文字が入っている。
なぜこの文字を入れる必要があるのかといえば、簡単に言うと、この金額は記者独自の「算出法」ではじき出したものであり、球団から正式に公表されたものではないからである。記者がスポーツ紙に在籍していた当時、年末になるとプロ野球担当者が球団を駆けずり回っていた光景を思い出す。
「金額は推定」なのにほぼ正確な理由
プロ野球選手の年俸を記事化するにあたり、ベースになるのは入団時の年俸である。ここからそのシーズンの成績を考慮した上で、年俸を推測する。球団により査定方法が異なるため、推測だけでは記事化は難しく、球団関係者に取材したり、もしくは選手本人に「直球」で切り込む記者もいる。
はっきとした金額を口にする選手は少ないものの、よほどの事情がない限り、ヒントをくれるケースが多い。それは金額の独り歩きを防ぐためでもある。個人事業主であるプロ野球選手は毎年、確定申告を行っている。実際の年俸よりも高い金額が報道されれば、後々面倒なことになりかねない。このようなこともあり、選手は報道陣に対してある程度、事実にそった金額を匂わせる。
複数の元プロ野球選手の話を聞いたところによると、報道された金額と実際の金額に大きな誤差はないという。ただ、出来高制の選手の場合、その内容が明かされていないだけに、誤差が生じることがあるという。
金額の誤差でいえば、今オフに明らかになったオリックス時代の金子千尋投手の年俸だ。5億円と報じられてきた年俸は実は6億円だった。推定とはいえ、年俸が報道と1億円もの開きがあるのは異例のことだった。
契約更改後に年俸が報道されることに関して、選手内で賛否の声が分かれるが、世間からの注目度でいえば、依然としてプロ野球選手の年俸に世間の関心は高く、年末の風物詩はこれからも続きそうだ。
(J-CASTニュース編集部 木村直樹)