保阪正康の「不可視の視点」
明治維新150年でふり返る近代日本(23)
戦争末期に露呈した「先達への非礼」

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   太平洋戦争の終結に至るプロセスで、近代日本の基本的な問題が浮き彫りになっていることに、私たちは気づくべきなのだが、その視点で論じられることはこれまで全くといっていいほどなかった。

   なぜだろうか。思うに昭和天皇のご聖断が国家の危急を救ったという見方で論じられている限り、この視点は決して論じられることはなかったのである。

  • ノンフィクション作家の保阪正康さん
    ノンフィクション作家の保阪正康さん
  • 硫黄島の戦いは、本土決戦への態勢を整えるための玉砕戦だった
    硫黄島の戦いは、本土決戦への態勢を整えるための玉砕戦だった
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  • 硫黄島の戦いは、本土決戦への態勢を整えるための玉砕戦だった

本土決戦は政治の側の理解を得られない

   その視点とは、帝国主義的論理を特化させた昭和の陸海軍が、いわゆる軍事の限界線を全く考えない無統制の軍事集団になってしまった、というものである。こういう集団は、二つの特徴を持つ。あえて箇条書きにしておきたいのである。

(1) 戦争を勝つまで続けるというニヒリズム
(2) 国家の歴史に対する冒涜、先達への無礼

   いわば国家の威信に傷がつくだけでなく、先達への礼を失した暴挙につながり、次代の児孫への極めて非礼な理念を示しているといいように思う。本稿のテーマは近代日本の史実を通して、可視と不可視の領域を見据えて日本人の国民性やその民族的特性を検証する点にあるのだが、その極端なケースが終戦時の陸海軍の強硬派の論理と行動の中に見られるのだ。そのことを説明しておきたい。

   陸海軍の強硬派(彼らは本土決戦を主張したのだが)は昭和20(1945)年に入ると、本土決戦の方向に一斉に舵を切っている。参謀本部の作戦部などが密かにその方針を取り始めたのだが、それを国策に引き上げることをすぐには明らかにしなかった。本土決戦は政治の側の支持を簡単には得られないことを知っていたのためだ。昭和20年に入っての硫黄島戦や沖縄戦は本土決戦の態勢を整えるための玉砕戦でもあった。

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