菅政権、安倍政権ともに物申した
就任前年の2009年には、「経団連嫌い」の民主党政権が誕生。米倉氏は早くから「選挙に勝つために、よいことだけを約束する時代は終わった」などと問題点を指摘していた。
2011年の東日本大震災をめぐっては、発生当日に対策本部を立ち上げ、本部長に就任。会員企業に協力を呼びかけ、被災地への迅速な燃料・救援物資の提供などに取り組んだ。政府の対応のまずさに腹を据えかね、「間違った陣頭指揮が混乱を引き起こす」と当時の菅直人首相を痛烈に批判。エネルギー確保のため、原発再稼働は必要との立場を貫いた。
2012年12月に自民党が政権に復帰すると、安倍晋三総裁が掲げた金融緩和政策について、「無鉄砲だ」と批判して、安倍首相の不興を買った。首相との「しこり」は残り、経団連会長の「指定席」とされていた経済財政諮問会議の民間メンバーにも選ばれなかった。
政権との距離感に悩んだ米倉氏だが、世界各国との関係強化には大きな功績を残した。2012年9月の沖縄県・尖閣諸島国有化で冷え込んだ日中関係を改善するため、何度も中国に足を運んだ。環太平洋連携協定(TPP)交渉への参加や、経済連携協定(EPA)交渉開始を各方面に訴えた。2期4年を務めた米倉氏は2014年、東レ出身の榊原定征氏に会長の座を譲った。
中西宏明・現会長は「自由経済、自由貿易をなんとしてでも守り抜くという固い信念を持った、生粋のリベラルな経営者、リーダーだった」との談話を発表した。