自民党参院議員の山本一太氏(60)が2018年12月5日、19年夏に予定されている群馬県知事選挙に出馬する意向をブログで示した。近く、記者会見を開くとしている。
現職の大沢正明知事(72)は当選3回。元自民県議で、07年の知事初当選時は自民の公認候補だった。前回15年の選挙でも自公からの推薦を受け、山本氏が応援している。もし大沢氏が出馬すれば「保守分裂」となるが、山本氏は1年ほど前から度々、「観測気球」を飛ばしていた。
1年かけて「県知事待望論」を解説
山本氏は1995年、父・山本富雄・元農水大臣の死去に伴い、群馬県選挙区から出馬。沖縄北方担当相などを歴任し、現在4期目だ。安倍晋三首相(自民党総裁)とも近く、2014年から党の総裁ネット戦略アドバイザーも務めている。
山本氏は19年改選だが、「参院議員としての任期は、最後まで(責任を持って)努めさせていただくつもり」。これから党幹部や県連執行部、首相官邸にも意思を伝えに行くという。
「群馬県の未来のために、政治家・山本一太にしか出来ないことがある!自分がやるしかない!!」
そう確信して決断に至ったという山本氏だが、かつては知事選出馬を否定し続けてきた。ブログをさかのぼると、06年5月15日に「自分は知事に転身するつもりはない。知事選挙に出る可能性は『マイナス500%』だ」、14年12月21日の投稿でも「これからも、(よほどのことがない限り)群馬選出の参院議員として全力を尽くすつもりだ」としていた。
そうしたスタンスが変わり始めたのは、昨年夏ごろから。17年6月には「地元後援会代表者・選挙戦略会議で噴出した『山本一太県知事待望論』に答える!」と題して、支援者からのくら替え要請への返答を、約1週間で13回も投稿した。そこでは「現時点で2年後の知事選に出馬することは全く考えていません」としていたが、これを境に「待望論」に触れる機会が増えてきた。18年1月からは、続編として「その14」から「その17」を投稿。半年ほど空いて、7月16日の「その18」まで続いた。
「群馬県知事」は、亡き父の悲願だった
知事選出馬へ具体的に傾いたのは、18年10月から11月にかけて。「自民党群馬県連会長として(群馬選出の自民党議員として)『次の知事選び』をどう考えているのか?!」のタイトルで、ふたたびブログ連載をスタート(全28回)したのだが、その間のイベントで参院選と知事選への出馬を「五分五分です」と発言。それからは、独自に行った電話調査の結果などを交えつつ、
「来夏の群馬県知事選に関する山本一太の独自かつ信頼性の高い世論調査の結果を公表する!」(11月23~24日、全5回)
「山本一太が考える『次の群馬県知事』に求められる能力&資質とは?」(11月30日、全2回)
「全県を網羅する山本一太後援会~後援会長9割が『知事選への出馬』を望んでいることが判明!」(12月3日、全2回)
などとトーンを上げてきた。そして今回の出馬表明である。
ブログを読み込むと、「群馬県知事」が山本氏にとって、思い入れのあるポストだとわかる。15年3月に投稿された回顧録「亡父山本富雄の悲願だった群馬県知事」(全5回)によると、草津町議から県議となった富雄氏は、知事選出馬にも意欲を見せたそうだ。
しかし当時の群馬県は、福田赳夫元首相と、中曽根康弘元首相による「上州戦争」の真っ只中だった。両氏の「福中裁定」により富雄氏は出馬を断念。国政へ転身し、農水大臣などを歴任しつつ、ふたたび知事選出馬をもくろむが、「ここには書けない『ある事情』」によってあきらめざるを得なかったという。
「今、政治家としてあの場面を振り返ると、こう思わずにはいられない。『どんな事情があろうと、結果がどうなろうと、オヤジは選挙に出るべきだった!』と」(15年3月24日のブログより)