2018年、パナソニックにとっては創業100周年記念事業が重要だった。私も今年、北京や東京で、同社による様々な記念活動に出席した。
10月末には私や中国主要メディアの記者たちが日本に赴き、30日に東京で開かれた最大の記念事業「クロスバリューイノベーションフォーラム」に出席した。その場では津賀一宏社長も「次の100年の『くらし』をつくる」と題して講演した。
「100年経営」は容易でない
日本には多くの100年企業があるが、多くは極めて深刻な危機に見舞われている。そして、「創業100年」に差しかかる前後、経営的にひと皮剥けることで、さらに次の段階に進むようである。
1910年に設立された日立が2009年に7000億円の赤字を抱え、それを乗り越えたことは記憶に新しい。1912年に設立されたシャープは、創業100周年を迎えたまさにその年、台湾の鴻海との間でその後の買収につながる協議を始めた。
話は日本に限らず、創業100年直後に倒産して国有化された米国のGM(ゼネラルモーターズ)の例もある。ひとつの企業が100年経営を続け、発展し続けていくことは実に難しいことなのだ。
1918年、当時22歳の松下幸之助と妻、そして妻の弟の3人で設立し、電灯ソケット生産を始め、巨大企業に成長したパナソニックも、2011年からの2年間、巨額の赤字に見舞われた。
始まっている変化
北京や東京での催しを通じて私は気づいた。パナソニックが「100周年」を迎えた後もなお歩み続けるためにシステム改革を進めており、かつての難関を乗り越えさせた津賀氏の下で、改革につながる変化が既に始まっているーー。
私がみる最も大きな変化は次の三つだ。
まず、雇用制度が改革された。
例えば10月31日に聞いた「日本企業の復活」という鼎談の語り手の一人は パナソニックの専務役員の樋口泰行氏。大学卒業後はパナソニックが社名を変える前の松下電器産業に入り、退社後は日本マイクロソフト社長などを経てパナソニックに復帰した。かつて同社に「叛旗を翻した」人間が古巣に戻り、しかも重職を任されていること自体がパナソニックの大きな変化を示していると、樋口氏自身が口にした。
第2に、多様な人材・企業と新たな価値をつくる「協創」の概念をより重視している。
例えば米国の電気自動車テスラの「モデル3」に車載電池を提供するのはパナソニック1社だけ。テスラとの協力はパナソニックに新たな道を開かせてきたが、「協創」は何もテスラとの間に限った話ではないと、10月の講演で津賀氏は明かした。
そして、製品の中身に新たな変化が起こっている。
かつての小さなソケットから、冷蔵庫、カラーテレビ、そしてコンピュータまで、様々な製品を生産してきた同社。これからもやはりもの作り企業だろうが、より多くの製品は「動く」こととかかわるものとなるに違いない。たとえば、自動車部品、電池、自動運転に必要な監視装置など。
最新技術を集中させることによって、工場全体の生産管理、地域の安全な暮らしを守るシステムの提供など、生産や社会の様々な課題を解決する方向にまで、その「製品」は向かいつつある。
様々に変わり続けながら「次の100年」を順調に迎えるための下地を作りつつある100年企業。その行動には、歴史という点では及ばない中国企業にとっても学ぶべき事柄は多い。そんな思いを私は深めた。
(在北京ジャーナリスト 陳言)