引退したくても出来なかった鳴戸親方
連続休場から復活、そして休場の一連の流れは稀勢の里と重なるところが多いが、一点、大きく異なることがある。鳴戸親方は、休場中に当時の師匠である二子山親方(元横綱初代若乃花)に引退の旨を伝えていたという。だが、当時の角界の状況がこれを許さなかった。
鳴戸親方が横綱に昇進した当時、横綱は北の湖、千代の富士と鳴戸親方の3人だったが、北の湖が晩年で、その北の湖は85年初場所に引退。鳴戸親方がこれに続いて引退すれば、千代の富士の一人横綱となってしまう。そのため、二子山親方は2度にわたる鳴戸親方の引退の申し入れを受け付けなかったという。
横綱は現役引退によってのみその地位から降りる。だからこそ、横綱はその地位にふさわしい品格と抜群の力量を要求される。87年ぶりの初日からの4連敗は、横綱の品格が問われかねない不名誉な記録であり、角界の悪しき前例にもなりかねない。
もし、鳴戸親方が稀勢の里のそばにいたら、どのような言葉をかけたのだろうか。3日目の休場か、4日目まで出場させるか。どちらが正解かは誰も判断できないが、そこには必ず鳴戸親方の意志があったに違いない。
(J-CASTニュ-ス編集部 木村直樹)