「亀田家の3男」亀田和毅のメキシコ壮絶修業 12年前、記者が見たデビュー戦は...

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心の支えはスーパースター、シュガー・レイ・レナードだった

   宿舎にはテレビも携帯電話もなく、あるのは一台のパソコンだけだった。初めて父と兄妹と離れて暮らす15歳は、YouTubeでひたすらボクシングの動画を見続けた。画面の中のボクサーはいつも決まっていた。和毅が憧れていた世界5階級制覇のシュガー・レイ・レナード(米国)だった。

   和毅のメキシコでの日課は、一日10個のスペイン語を覚えることだった。夜になると、ベッドの上でその日覚えたスペイン語をB5ノートに書きこんだ。理解出来ない単語は辞書を引きながら覚えた。毎日、少しずつボクシングの基礎練習を反復するようにスペイン語を習得していった。

   メキシコでのアマチュアデビュー戦は、完全にアウェーだった。日本ではその名が知られていた和毅だったが、メキシコでは無名のアマチュアボクサー。試合当日、試合会場では選手の名前入り対戦プログラムが配布されたが、そこに和毅の名前はなかった。

   スタッフの中にスペイン語を話せる者がなく、その日、本当に和毅の試合が行われるかさえ分からない状況だった。控室は選手以外の立ち入りが禁止されており、言葉が分からない和毅はひとり、自分の出番を信じて待つしかなかった。

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