「サイボーグ009」(1979年版)の主題歌「誰がために」などで知られる、歌手の成田賢さんが2018年11月13日午前、肺炎のため亡くなった。73歳。本人の公式ツイッターで発表された。
アニメ・特撮ソングの世界でも活躍した成田さんの死去に、「アニソンの帝王」水木一郎さんも「残念でなりません」と追悼のコメントを発表した。中川翔子さんら、その歌声を愛した著名人からも相次いで惜しむ声が上がっている。
一方その歌手人生は、平坦なものではなかった。
GS、アニソン、そしてCMソング
1945年に満州で生まれた成田さん。デビューは、グループサウンズ(GS)のメンバーとしてだった。
1960年代後半に起こったGSブーム。ジュリーこと沢田研二さんを擁するザ・タイガースなどが群雄割拠する中に登場したのが「ザ・ビーバーズ」だ。成田さんはツインボーカルの一翼を担い、サイケデリックなサウンドに貢献した。一般からの人気という面ではやや地味だったが、玄人好みのバンドとして知られ、その後も再評価されている。
解散後はソロ歌手に転身、中でも1979年に「サイボーグ009」の主題歌「誰がために」で知られる。「九人の戦鬼と......」などのフレーズが印象的な、原作者・石ノ森章太郎さん自ら作詞を手掛けたこの曲は、アニメ版「009」を象徴する曲として多くのファンに愛された。翌80年には特撮作品「電子戦隊デンジマン」の主題歌「ああ電子戦隊デンジマン」を担当、これも人気を呼んだ。
また、意外と知られていないのがCMソングでの活躍だ。「東ハト、キャッラメルコ~~ン」とのびやかに歌う「キャラメルコーン」をはじめ、200を超えるCMに、その声を吹き込んだ。
転倒事故で「立っていられない」状態に
一方で、その活動はさまざまなアクシデントとの戦いでもあった。
ビーバーズ解散直後には肺結核を患い休養を余儀なくされ、またソロ歌手としての活躍のさなかに、バイクでの転倒事故で首を痛めてしまう。読売新聞(東京版、2008年7月13日付朝刊)の取材では、当時をこう振り返っている。
「痛みで立っていられず、眠れない。歌えなくなるし、指が曲がらずギターも弾けない。でも外傷がないから、怠けているようにしかみえないんです」
歌手としては一線を退き、さまざまな仕事を転々とした。上記の記事によれば「消えた歌手」として、一時は死亡説まで流れたという。しかし2007年、イベント「アニメジャパンフェスティバル」でカムバックを果たす。26年ぶりのステージでファンを沸かせ、同じ年にはベストアルバムもリリースした。
ツイッターではおちゃめな投稿も
2012年には、「009」のリメイクとしてアニメ映画「009 RE:CYBORG」が公開されたのに合わせ、企画盤で「誰がために」を約30年の時を越えてセルフカバー、このアルバムでは原田真二さん、石川智晶さんといった人気アーティストも「誰がために」を歌い、そろい踏みが話題となった。
健在ぶりを発揮する一方、ツイッターでは自分の写真も貼り付けながら、70代とは思えない、どこかおちゃめな投稿で毎日のようにツイートを。6日にも、
「世界中の皆様、きょんばんは~ 昨日はブログ更新寸前に挫けてしまいました 今日も風邪気味なのでもう眠ります どうぞ素敵な夢 みてにょ おやすみなしゃいまし~」
と絵文字付きでつぶやいていたが、結果としてこれが最後の投稿となってしまった。
水木一郎さん、中川翔子さんらが追悼
突然の死去を受け、「アニソンの帝王」水木一郎さんはツイッターで、
「成田賢さんの悲報を聞き、長年頑張ってきたアニソン仲間だっただけに残念でなりません。オレはつい先日2度目の肺炎の予防注射をしたばかり、彼が肺炎で亡くなったと知り、楽屋話の中でも予防接種のことを教えられる機会がなかったことを悔やんでいます。ご冥福をお祈りいたします」
と投稿。またタレントの中川翔子さんも、
「デンジマン主題歌の、成田賢さんの訃報、とてもショックです、デンジマンは地球に存在する映像の中でも大好き過ぎて数えきれないほど観ている、素晴らしい作品。歌声、世界観、なにもかもデンジマンが愛おしい。あの主題歌もエンディングも、成田賢さん素晴らしい歌声は永遠に。ご冥福をお祈りします」
とその死を惜しんだ。