復活の新谷仁美、記者が見た「成長の証」 空白の4年間で得たものとは

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25歳で引退...OLしながら執筆活動

   社会人1年目の2007年2月、初マラソンとなった東京マラソンで2時間31分01秒の記録で初優勝を果たし、その後はマラソン、1万メートルと両軸で活躍し、2012年ロンドン五輪では女子1万メートル代表で出場した。

   ロンドン五輪では9位に終わり入賞こそ逃したが、序盤、積極的な走りで堂々と世界と渡り合った走りは高く評価され、2016年リオデジャネイロ五輪でのメダル獲得が期待されていた。

   そのような中で2014年1月に突然、引退を表明し、表舞台から姿を消した。右足の故障が思うように回復しないとのが引退の大きな理由だったが、25歳の若すぎる引退に陸上界から惜しむ声が多く上がった。

   現役を引退後、新谷は都内の会社でOLとして勤務した。事務仕事をこなす傍ら、スポーツ系のWEBサイトで陸上関連の記事を執筆。女子駅伝、箱根駅伝などの駅伝をはじめとし、シーズン中には地方の競技場を訪れ、外から競技を分析、リポートした。

   当時、記者はWEBサイトの編集長として新谷の原稿をチェックする立場にあった。新谷の指摘は正確で厳しくもあった。そして彼女が一番嫌ったのは「駆け引き」をする選手だった。世界選手権でも五輪の舞台でも常に自分のペースで走り、時には無謀ともみられるスタート直後からの独走もまた、「駆け引き」を嫌う彼女の信念からくるものだった。

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