保阪正康の「不可視の視点」
明治維新150年でふり返る近代日本(19)
昭和天皇が苦心した「終戦案」

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   昭和20(1945)年2月の段階で、日本が今次の戦争に勝つことはありえないというのが、軍事指導者の間でも了解とされていた。しかしそのことを大胆に説く指導者はいなかった。敗戦主義と厳しく糾弾されるだけではなく、場合によっては逮捕されることもありえたからだった。軍事指導に当たる一団はとりとめもなく、戦いの継続を主張しているだけであった。

   昭和天皇は意を決して首相などを経験した重臣たちの意見を聞いて、状況の判断をしていきたいと考えた。そのことは天皇側近の本音を直接に聞きだし、ご自身の判断の基にしようとの意思を含んでいた。侍従長の藤田尚徳は天皇の意思を知っていたから、7人の重臣(牧野伸顕だけは首相経験者ではなかった)がどのような意見を披瀝するのか、興味を持って一部の重臣の上奏の時は侍立していた。

  • ノンフィクション作家の保阪正康さん
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  • 昭和天皇は終戦案示さぬ首相経験者に失望していた
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  • 昭和天皇は終戦案示さぬ首相経験者に失望していた

終戦案示さぬ首相経験者に失望

   この時に若槻礼次郎、岡田啓介などの首相経験者は、何らかの終戦のための具体案を提示することを期待されていた。牧野からもそのような意思表示を望んでいた節があったのだが、彼らは一様に現在の立場では戦況を深く知る立場でないので、と発言して終戦案は示さない。そのことは天皇に失望を与えた。廣田弘毅、平沼騏一郎なども事態に真正面から向き合う姿勢に欠けているかに見える。東條英機に至っては、今はアメリカ側も国力が伸びきった段階であり、これからは下降線を描くと根拠もないことを平気で言い募る。藤田は呆れ果ててこの人物は陛下のお気持ちを真に理解しているのだろうかと書き残しているほどだ。

   今、陛下はどのようにしてこの戦争を終わらせるのが良いかを考えていることぐらい、わからないのかと藤田の筆調は厳しい。

   近衛文麿の上奏時は、藤田は立ち会っていない。藤田の記述では内大臣の木戸幸一が立ち合うことになったからというのである。この辺りに木戸が近衛がどのような発言をするのか気にしていることが窺えるのだ。

   近衛は、天皇にいわゆる「近衛上奏文」を手渡すのである。口頭では説明できないという意味である。この上奏文は二つの近衛なりの考え方が盛られている。一つは第二次世界大戦の現状はもう連合国の側の勝利に間違いがないとの認識の披露であった。近衛は外国の報道などをつぶさに見ての結論であると伝えている。もう一つは、現在の陸軍内部は共産主義者の巣窟になっている、敗戦を機に彼らは革命を起こそうとしているというのであった。天皇にとっては驚きであっただろう。近衛の意思は奈辺にあったのか、は推測する以外にない。しかもこの後半部分は、私見では天皇を脅かすような表現にさえ思えるので ある。早く戦争を収めなければ革命ですぞ、と言わんばかりであった。近衛は天皇に上奏の前夜、密かに吉田茂宅を訪ね、自らの上奏文を見せて相談している。その折に吉田に手直しを頼んだというのである。従ってこうした文面は吉田の筆になるとの説も囁かれてきて、現在に至るもはっきりしてはいない。

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