「どうしてユダヤ人は嫌われるのだろうか。ミツヨ、答えを知っているか。僕にはわからないんだ」
正統派ユダヤ教徒の友人ベン(60代)が、自宅のリビングルームで唐突に私に聞いた。2018年8月末のことだった。彼の父親は第2次世界大戦中、ポーランドからリトアニアのカウナスに逃れてきた難民のひとりだった。
「ユダヤ人はすべて死ななければならない」
当時、在カウナスの日本領事館には杉原千畝(ちうね)が赴任していた。「行先国の入国許可手続きを完了し、十分な旅費と滞在費を持つ者だけにビザを発給せよ」という外務省の命に背き、条件を満たしていない者にもビザを発給。多くの難民の命を救った。
神学生だったベンの父親も、学友とともに杉原ビザで欧州を脱出し、シベリアを横断。日本、上海を経由し、やがて渡米した。 ベンの父親は、家族を皆、ナチス・ドイツ軍に虐殺された。ベンは父親の渡米後に、米国で生まれた。
ベンの問いかけからちょうど2か月後に、事件は起きた。
2018年10月27日、ペンシルベニア州ピッツバーグのユダヤ教礼拝所(シナゴーグ=synagogue)に、自動小銃と3丁の拳銃を持った白人の男が侵入。安息日の儀式が行われる最中、「ユダヤ人はすべて死ななければならない」などと叫んで銃を乱射し、11人が死亡、6人が負傷した(7人との情報もある)。
殺人などの容疑で逮捕された同市に住むロバート・バウアーズ容疑者(46)は、Gabというソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)で、反ユダヤ的な発言を繰り返していたという。
銃撃の直前には、ユダヤ系難民支援団体を名指しし、「『HIAS(Hebrew Immigrant Aid Society=ヘブライ移民支援協会)』は我々の仲間を殺す侵略者(移民難民)を米国に連れてきたがる。仲間が虐殺されるのを傍観できない。攻撃に入る」と事件を示唆する書き込みをしていた。
トランプ大統領を非難していた容疑者
事件のあったシナゴーグは、ユダヤの非営利難民支援団体「HIAS」と深く関わっていた。HIASは米国務省と連携し、難民移民の住居や医療や社会保障などさまざまな支援を行ってきた。
1881年にユダヤ難民支援を目的に設立されたが、今は宗教、国籍、人種に関わらず、主にユダヤ人以外の移民難民を援助している。よりよい世界を築くために、他人に手を差し伸べることが、ユダヤの伝統・価値観であるとしている。
今回の銃乱射事件のあと、ツイッターなどのSNSで、家族や本人がHIASの援助を受けたという感謝の声が多く寄せられている。
事件の1週間前の安息日は、全米で移民難民のためのイベントが行われていた。
現在、ホンジュラスなど中米から数千人の移民集団が、米国への移住を求めて北上している。トランプ氏は彼らを「侵略者(invader)」と呼び、「移民集団はとても危険だ」と述べた。米国入国を阻止するために、メキシコとの国境に1万人前後の実戦部隊を配備している。
銃乱射事件のバウアーズ容疑者は、移民難民に対して「侵略者」というトランプ氏と同じ言葉を使っている。
リベラル派は、「暴力や貧困から逃れてやってくる女性や子どもたち。彼らのどこが危険なのか。トランプが移民難民に対する恐怖や憎悪、憎しみ、民族間の対立を煽り、こうした事件が起きた」、「トランプの移民に対する非難や差別的な言動が、白人至上主義を擁護しやすい社会にしている」と、強く反発している。
事件直後のトランプ氏のピッツバーグ訪問について、一部のユダヤ人団体は、「白人至上主義を非難するまで、トランプ氏を歓迎しない」と反対した。訪問時には、ユダヤ人なども含む反対デモが行われた。
一方、トランプ支持者は、「今回の事件の原因がトランプ氏にあるわけがない」と激しく反発。トランプ氏の娘婿ジャレッド・クシュナー氏はユダヤ教徒で、トランプ氏の長女イヴァンカさんも結婚の際にユダヤ教に改宗していることや、同氏がイスラエル米大使館のエルサレム移転に動いたことなどをあげ、「マスコミも含めてリベラル派は、トランプに対する憎悪や怒りを無責任に煽っている」と主張する。
中米からの移民集団については、「数千人単位で我々の国境を超えてくる集団は、侵略者以外の何者でもない」という声も強い。 SNSでの本人の発言によれば、バウアーズ容疑者はトランプ支持者ではない。
「トランプはグローバリストで、ナショナリストではない」、「ユダヤ人がはびこるのを阻止するために、何もしていない」と非難している。
バウアーズ容疑者にしてみれば、トランプ氏は移民やユダヤ人に対してまだまだ甘すぎるということらしい。
イスラム教徒も動いた
アメリカ社会の分断が再び浮き彫りになるなか、この事件については、党派や民族、信条を超越えた人たちのこんな姿もあった。
多くの犠牲者を出した今回の事件を機に、いい加減、党派を超えて前に進もう、とSNSで呼びかける人たちが現れた。
警官との銃撃戦で負傷したバウアーズ容疑者は、近くの病院に運ばれた。治療に当たった看護婦と医師のなかに、犯行時に容疑者が「すべて殺したい」と叫んだ、あのユダヤ人がいた。
その後、病院長が容疑者の病室を訪れ、「具合はどうですか」、「痛みはありますか」などと声をかけた。病院長もユダヤ人で、彼の義母は事件のあったシナゴーグにいつも通っていた。
ABCニュースなどの取材で病院長は、「ほかの病院と同じように、私たちの使命は人を裁くことではなく、助けを必要とする傷病者の治療に当たることです」と答えている。
また、イスラム教の2つの非営利団体が立ち上がった。
「必要なことは何でも言ってください。次の礼拝で礼拝所の外に警備が必要なら、あなたたちを守るために私たちが駆けつけます。食料品を買いに行くのが不安なら、私たちがお供します」
さらに、イスラム教徒たちはネット上のクラウドファンディングで、犠牲者の葬儀や負傷者の治療の費用を募った。「ピッツバーグのシナゴーグのためにイスラム教徒は団結する(Muslims Unite for Pittsburg Synagogue)」というページで、6時間も立たずに目標額の2万5000ドル(約280万円)を達成。日本時間の11月4日午後2時半現在で23万5000ドル(2630万円)を超えている。
事件から1週間後の11月3日の安息日には、「ユダヤ人も、ユダヤ人でない人も、シナゴーグに礼拝に来てください」というユダヤ系団体の呼びかけで、全米のシナゴーグに宗派を越えて多くの人が祈りを捧げた。
「この事件はユダヤ人コミュニティへの襲撃というだけでなく、アメリカの価値観に対する襲撃でもあります」(ユダヤ系団体関係者)
11月4日、前出の友人ベン、妻のデビー(50代)と電話で話した。
「忌まわしい事件だ。またか、というのが正直な思いだが、今回、いろいろな宗派が我々に心を寄せてくれた」と残虐な事件に光を見出そうとしているようだった。
デビーはつい数年前、ニューヨークにある自宅近くで、ユダヤ人に向かって男性が「汚らわしいユダヤ人!(Dirty Jew!)」と罵っていたと話した。
「子どもの頃からユダヤ人であることで嫌がらせを受けてきたから、今回の襲撃事件はショックだったけれど、驚きはしなかった」と淡々と語った。
事件直後に、ユダヤ人コミュニティに対するお悔やみの言葉をデビーに送ったとき、彼女から届いた返事にはこう書かれていた。
May we share only good tidings.
これからはあなたと、よいことだけを分かち合えますように。
(敬称略。随時掲載)
++ 岡田光世プロフィール
おかだ・みつよ 作家・エッセイスト
東京都出身。青山学院大卒、ニューヨーク大学大学院修士号取得。日本の大手新聞社のアメリカ現地紙記者を経て、日本と米国を行き来しながら、米国市民の日常と哀歓を描いている。米中西部で暮らした経験もある。文春文庫のエッセイ「ニューヨークの魔法」シリーズは2007年の第1弾から累計37万部を超え、2017年12月5日にシリーズ第8弾となる「ニューヨークの魔法のかかり方」が刊行された。著書はほかに「アメリカの家族」「ニューヨーク日本人教育事情」(ともに岩波新書)などがある。