日本の音楽界に数々の伝説を作り続け、「タモリ倶楽部」(テレビ朝日系)の出演や週刊文春での連載「考えるヒット」でもインパクトを残したミュージシャンの近田春夫さん。その近田さんの、1980年の「星くず兄弟の伝説」以来38年ぶりのソロアルバム「超冗談だから」が2018年10月31日に発売された。
ロックンロール、ヒップホップ、テクノ歌謡など様々なジャンルで「暗躍」をし、爪痕を残してきた近田さんの新作は秋元康さんから、女優としても活動するのんさん、さらにはハロー!プロジェクトなどアイドルへの詞提供などで知られる若手・児玉雨子さんら多彩な作家陣が参加。ディスコ歌謡にシティポップ、セルフカバーなどバラエティに富んだ作品に仕上がった。
発売を目前に控えた2018年10月29日、東京・渋谷のビクターエンタテインメントの本社でディレクターの川口法博さん同席のもと、近田さんに作品、そして近況について聞いた。(聞き手・構成:J-CASTニュース編集部 大山雄也)
ジューシィ・フルーツがきっかけに
―― 「星くず兄弟の伝説」以来38年ぶりと銘打たれていますが、その前作「天然の美」(編注:1979年発売の近田さんのソロファーストアルバム。アルバムにはYMOや筒美京平さん、宇崎竜童さんら多くの作家陣が名を連ねた)にニュアンスは近いのではないでしょうか。
近田:そうですね。それに近いかもしれませんね。
―― 色々な作家が参加しているが、採用の基準はどのようなものでしたか。
近田:それはね、このアルバムがどのようにして出来てきたかっていうことを説明したほうが良いと思うんですけど。これは自分が積極的に作ろうかってことをレコード会社に持ち込んだっていうよりも、たまたま川口さん(編注:ビクターエンタテインメントのディレクター)がジューシィ・フルーツ(編注:「ジェニーはご機嫌ななめ」(1980年)のヒットで知られるバンド)の担当をやっていらしていて。自分がソロで作っていた「天然の美」ってアルバムがあって、その中にちょっとテクノっぽい曲で「エレクトリック・ラブストーリー」があって、それみたいな曲をもう一つ作ろうとなって、「ああ、レディハリケーン」(1979年)って曲をソロで作ったんです。
―― BEEFとして演奏することになりましたね
近田:それでBEEF(編注:近田春夫&BEEFのこと。1979年に結成され、80年に近田さんが抜け、ジューシィ・フルーツに名を変えて活動を始めた)を結成してやっていたんですけども、今回久々にジューシィ・フルーツのライブ(編注:2017年11月5日東京・赤坂 GRAFFITIでの単独ライブ)であのころ一緒にやった曲をやりましょうって話をいただいて、いいですよって。それで「ああ、レディハリケーン」をライブでやることになって当日、本番前のリハーサルがあって。僕、本当歌をやるのが何十年ぶり、ステージで少なくとも声を出したのが1995~6年が最後だと思うんですけど、20年近く声を出していなかったんですね。リハーサルのときに川口さんが聞いていて「近田さんすごく歌良いですね」って言ってくれて。その時はまだ川口さんと面識がなかったから、良い気分で歌うために後押ししてくれたのかなって。その時は真剣に受け止めてなかったんですけど、それからジューシィ・フルーツがアルバム(編注:2018年2月14日発売のアルバム「BITTERSWEET」)を作ることになって、それでまた川口さんの方から1曲書いてくれって、それで書いたのが今回のアルバムにも入っている「ラニーニャ 情熱のエルニーニョ」って曲なんですけども、それの歌入れをするって時に仮歌と言いますか、一応こういう曲なんですよってガイドみたいなのを入れた方がニュアンスがわかりやすいと思ったので、歌入れのスタジオに行って仮歌を歌ったんですよ。そしたら川口さんがまたもや「いやあ、近田さん本当に歌良いですね」って。その時はキーがね、ジューシィ・フルーツってのはボーカルのイリアさんと同じだから僕とはキーが違うんですよ。だから、キーが高すぎちゃって、上とか出ない感じだったんだけど。ある意味酷い歌だと思うんだけど、それを聞いて川口さんが「本当に近田さん良いですね」、「この声は絶対残しておくべきなんでCD作りましょうよ」ってまたそこで言われて。僕も褒められると悪い気はしないんで、本当とか言って。じゃあ作っても良いけどずっと曲も書いてないし、曲書いたりするのもかったるいから、ちゃんと全部詞曲を揃えてくれたら、ボーカルだけだったらアルバム作るよって言ったら「分かりました」って言って。
―― それで色々な作家さんの曲が集結しました。
近田:きっとね川口さんは僕が曲も詞も書いて歌うって、そういうのを想定していたかもしれないんだけど、僕が曲書いたり詞書いたりするの、面倒くさいからって言ったら断るかなって思ったら「いいですよ、それで行きましょう」って。それでしばらくしたら本当に曲が用意されちゃって。川口さんも本気で作家のいる事務所とかに連絡して、コンペもして、最終的に65曲ぐらい集まったんですよ。その時の川口さんの人脈で児玉雨子さんが詞を書いてる、全ての曲の作曲家は川口さんの人脈を使ってコンペで集めた人なの。ですから、僕は全く知らない人たちなんですよ。
面識がない作家たちとの邂逅
―― AxSxEさん(表題曲「超冗談だから」の作・編曲を担当)ら全く知らない状態から始めたと。
近田:そうです。それで最初にAxSxEさんが書いてきた「超冗談だから」っていう曲ですね。そのデモテープを聞いたときに、すごい面白い人だなと思って。面白いっていうかな。何だかわかんないんですけど、こういう音楽が揃ってくるなら面白いなって感じになって、それで曲の方はコンペで結構集まってきたんだけども。大体あのJ-POPはそうなんですけど、大体先に曲を集めて、それからにそれに詞をハメるっていうことが、業界的には常套的なことなので、その時にはまだ作詞家について川口さんはそんなにプランがなかったみたいなんですよ。それで「超冗談だから」って誰か良い作詞家はいませんかねって言うから、勿論自分では書かないって決めてたからね。ずっと最近児玉さんの書いてるアイドルの曲とか中々ちょっと面白いなって思ってて、「じゃあ1曲その児玉さんに頼んでみますか」って川口さんが連絡とってくれて、逆に川口さんはその時児玉さんと全然仕事したことがない関係で、知り合いでもなんでもなかったんですけど、それで川口さんが児玉さんに連絡してくれて、児玉さんが快諾してくださって、「超冗談だから」ができてきて。
―― 児玉さんは最終的に6曲を担当されました。
近田:そうこうしているうちに65曲集まった中から川口さんが10曲くらいね。僕はだからコンペの曲は聴かずに川口さんが選んできたやつを「次はこの曲にしましょう」、「これはどうしましょう」ってときに、1曲目の「超冗談だから」が曲とのハマり具合とか、歌詞の世界観とか、歌ってみたときの面白さとか、色んなことで凄い作家だなってことがわかったので、2曲目も児玉さんに頼んでみますかってことで、そしたら児玉さんはすごく仕事が早いんですよ。なので、だったらコンペで集めた曲に関しては全部児玉さんで行っちゃおうかって。それで児玉さんにお願いしたら、もう本当にサクサクサクサク書いてきてくれて、っていうのが一個あって。
―― のんさんや秋元康さんはどのように。
近田:のんちゃんはコンペとは別のルートっていうか。詞曲を書くようなシンガーソングライター的な人に。それで誰か面白い人、やりたい人はいませんかってことを川口さんからお話をいただいたときに、彼女が自分でエレキギターを弾きながら、ライブをやっている動画がね、CDのおまけか何かでついてたんですよ。「へーんなのっ」って曲なんですけど、それを観たときに、確かに曲も面白いし歌もストレートで良いなって思ってたんですけど、それ以上にエレキギターのプレイヤーとして、本当にこの人凄いなって。ロックを感じるギタリストだったんですよね。詞も面白かったんですよ。それで、どこか頭の片隅に彼女のことがパッと浮かんで。のんさんとは全然面識はなかったんですけど、のんって人が書いてくれたら嬉しんだけどなって川口さんにお願いしたら、それも二つ返事で引き受けてくれたんで、ギターもお願いできませんかって頼んだら、それも良いですよって。そうやってのんさんは参加してくださって。
それから秋元康は、元々付き合いが古いもんですから、前々からもし僕がCDとか出すなら「詞書いてあげるから」って昔から言ってくれてたんですよ。そこからAKB48とかどんどん忙しくなってきて、今頼んだら無理って言われるだろうなと思って、ダメ元で秋元に頼んでみたら「大丈夫だよ、書くよ」って感じで、それもその場でOKをもらったんですけど、流石に忙しいからね。頼んでから詞があがるまで半年くらいかかっちゃったけど、絶対約束守る人だから、そういうのは心配してなかったんですけど。
―― そしてセルフカバーですね。
近田:で、後はそのBEEFのときにやっていた、最初に川口さんが僕が歌っているのを良いと言ってくれた「ああ、レディハリケーン」。それからジューシィ・フルーツ用に書いた「ラニーニャ 情熱のエルニーニョ」を川口さんがいれましょうって。それから、このアルバムがその曲から始まったいきさつもあるので。ということで全10曲がそういう振り分けで作家が構成されているということです。
ツイッターでのPRはどう思う?
―― 私が把握している限りでは昨年行われたイベント「電撃的東京2017」でも使われましたが、今回も「近田春夫PROJECT2018」というアカウントでツイッターでのPRも盛んに行われていました。インターネットでの宣伝活動に抵抗はありましたか。
近田:何もない。要するに自分でやるのが面倒くさいから。やるのが面倒くさいってだけで、やっていただく分には全然かまわないです。むしろいっぱい出てくれたほうが嬉しい。
川口:やっぱりSNSとかツイッターかないと情報が広がらないんで、近田さんがやらないと言うので、代行してアップしています。
近田:アルバム全てを川口さんにおんぶに抱っこで。
―― 今回のアルバムの謳い文句に「ひとりザ・ベストテン」とありますが、本家の「ザ・ベストテン」(TBS系)になぞらえまして、「今作のスポットライト」を選ぶとしたら、どの曲をピックアップしますか。
近田:難しいね。
―― 実際に「今週のスポットライト」に登場したものですと、杉山清貴&オメガトライブ「サマーサスピション」やサザンオールスターズ「勝手にシンドバッド」があります。ランキング外から1~2曲、注目曲を取り上げるコーナーでした。
近田:それは難しいね。そうだねえ。何だろうね。なんかね、それがないんだよね。みんなそれぞれが方向性っていうか、それぞれ違うから。この方向から見ればこうだし、この方向から見たらこうなるしみたいな。ちょっとそれわかんないわ。
―― 現在のライブ活動のメインはハルヲフォンのメンバーの方と始めた「活躍中」がありますが、今作との関連性はありますか。
近田:全く別ですね。今、自分のやっている大きな方向性としては、1つは歌を歌うだけのソロアルバムが出て、もう一つがハルヲフォンのメンバーとやっている活躍中があって、もう一つはOMBってDJとトラックメイキングをやってる人との2人でやってる、ディスコミュージックファクトリーみたいなもんだけど、僕はキーボードで。方向性としては超大きく出ればプログレッシブハウスみたいなもんですね。ハウスから派生してちょっとテクノ寄りになったみたいな。今はそれを中心にやっている。最終的には全てのディスコミュージックを網羅したい。そっちの方はキャッチが「ディスコから宇宙へ」のがテーマなんですけど。「LUNASUN」ってグループなんですけども、それも結構活動していて、という感じでやってます。
「がん」からの再起...「来る話は徐々に受けるように」
―― 今年3月にパール兄弟のライブでビブラトーンズ時代の楽曲を演奏、1月には「星くず兄弟の伝説」の続編が公開、昨年にはジューシィ・フルーツがあり、そして今回のソロアルバム。80年代にやっていたプロジェクトがここにきて一気にリブートしていますが、何か理由はあるのでしょうか。
近田:自分から何かこうやろうと始めたわけじゃなくて、いろんな人がそうやって声をかけてくれることが、去年くらいから急に増えてきちゃったのが正直なところありますね。本当にありがたいなと思って。どうしてなんだろうね。僕だけじゃなくて、僕くらいの歳の、昔っからやってるような人たちのアルバムなんかも、最近出たりとか再結成するとか色々なことが増えてるでしょう。だから、それはきっとそういう時代なのかなって気がするけど、きっと、みんなもお互いどうしてそういう風になってるんだろうって、不思議に思っていると思うんだ。でも、そういうことが色んな形で僕だけじゃなくて、そういう時代の流れなのかなって言える気もするんですけど。
―― 再結成などは~周年で行われることが多いですが。
近田:きっと、たまたまですよ。別にそんなたいそうな周期で出来ないもんで、みんなどれもこれも何となく、自然的にそういう機が熟してきたとか。何なんだろうね。
―― そういった声がかかってきたら基本的には断らないスタンスなのでしょうか。
近田:僕、2008年にがんになっちゃって、判明した時にはステージ4だったんですよ。それでがんの細胞自体もあんまり良いやつじゃなくて、とにかくお医者さん行ったらすぐ手術しましょうって言われて。それで転移の危険もあるから、しばらく抗がん剤治療しましょうってなって、今は全く治ってますよ。その2008年に発覚してから昨年の10月まで9年間ずっと治療っていうと変ですけど、一回再発して手術もしましたから。そんなことで体力的にね、その間例えばライブ活動やったりとか、ちょっと自信がなかったから。その9年間、声がかかってもやれるものやれないものがあって。特にステージに立つことは。病気すると体力がなくなるんですよね、最初。それと抗がん剤の副作用もずっとあって、今はあるとしたら足の裏に痺れが残るくらいなんだけど。そういうこともあって曲を書くとかね、作家仕事だったら来たものも引き受けたと思うけど、ステージに立つことに関しては、完治したって先生に言われる1~2年前ぐらいから、もうそろそろ大丈夫かなって気持ちになってきたんで、そのころから来る話は徐々に受けるようにしてきたって感じですね。
―― 近田さんと同時代にロックシーンで活躍した安岡力也さん(2012年死去)、ジョー山中さん(2011年死去)、桑名正博さん(2012年死去)、原田芳雄さん(2011年死去)らが先に旅立っていきましたがどう受け止めていますか。
近田:みんなしょっちゅう会っているわけじゃないんですけどね。寂しいって大げさな気持ちではないんですが。どう言ったらいいのか。みんないずれね、誰でも寿命が来ちゃうしね。誰でも寿命ってあるからね、僕もいつか死ぬだろうし、僕らくらいの歳になるとミュージシャンの人じゃなくても、学校の時に一緒だった人間とか、結構周りってこのくらいの歳になると死んでくんだよね。だから、意外とそんなもんなのかなって。割と淡々と受け止める方なのかなって。
「俺が早かったでしょってね」
―― 近田さんと歌謡曲・歌謡ロックは切っても切れない関係でキーワードだと思いますが、近田さんにとっての歌謡曲・歌謡ロックへの意識や向かい方はありますか。
近田:そんなにね特別意識はないんですけど。ただ今回色んな作家の人がメロディを書いてくれて、80年代前の音楽と比べて今の作家の方が歌うのが難しい。歌うことの難しさは昔に比べてレベルが全然違うくらい難しいと思うんで。その質問の答えになるかわからないんですけど、自分では歌謡ロックっていうことよりは、今回はJ-POPだなと思ってやっている。
―― ヒップポップなど先駆的な活動は何か「戦略性」があるように感じる。そういった意識をもって活動でしたか。
近田:自分はいつも人より先に何かをやりたいんですよね。今までみんながやってないことを見つけて、それを先に発表して、俺が早かったでしょってね。それが趣味だったんで、今もそういう趣味があるんですけども、だから戦略っていうんだったらそれがその後に商業音楽としてね、成功する前提だったら戦略なのかもしれないけど。自分がみんなより先にやってやり終わった後にやっとそういうものがマーケットとして育ってきて、これからお金が儲かるようになったころには俺はそれ辞めちゃってるから。ある程度やると飽きちゃうんだよ。
―― 38年ぶりでソロ作品としては初めてCDが先行して出るが、媒体へのこだわりはありますか。
近田:僕はね、メディアに対するこだわりがないんですよね。CDだろうとビニールだろうと配信だろうと、こだわりはないですね。これじゃなきゃダメってのはないですもの。
―― 最後に今回のアルバム一番強調したい部分もありましたら。
近田:この歳にしては声が若いってそれだけだな。自分で言うのも変だけど、67とは思えない。若いんだよな。昔より声がストレートに出るようになってるんですよ。それは肉体的なことよりは精神的なことが大きいとは思うんだけど。精神的に何なのかはわからないんだけどね。昔よりとにかく強くなってるよね。自分で聴いていてそう思う。