「がん」からの再起...「来る話は徐々に受けるように」
―― 今年3月にパール兄弟のライブでビブラトーンズ時代の楽曲を演奏、1月には「星くず兄弟の伝説」の続編が公開、昨年にはジューシィ・フルーツがあり、そして今回のソロアルバム。80年代にやっていたプロジェクトがここにきて一気にリブートしていますが、何か理由はあるのでしょうか。
近田:自分から何かこうやろうと始めたわけじゃなくて、いろんな人がそうやって声をかけてくれることが、去年くらいから急に増えてきちゃったのが正直なところありますね。本当にありがたいなと思って。どうしてなんだろうね。僕だけじゃなくて、僕くらいの歳の、昔っからやってるような人たちのアルバムなんかも、最近出たりとか再結成するとか色々なことが増えてるでしょう。だから、それはきっとそういう時代なのかなって気がするけど、きっと、みんなもお互いどうしてそういう風になってるんだろうって、不思議に思っていると思うんだ。でも、そういうことが色んな形で僕だけじゃなくて、そういう時代の流れなのかなって言える気もするんですけど。
―― 再結成などは~周年で行われることが多いですが。
近田:きっと、たまたまですよ。別にそんなたいそうな周期で出来ないもんで、みんなどれもこれも何となく、自然的にそういう機が熟してきたとか。何なんだろうね。
―― そういった声がかかってきたら基本的には断らないスタンスなのでしょうか。
近田:僕、2008年にがんになっちゃって、判明した時にはステージ4だったんですよ。それでがんの細胞自体もあんまり良いやつじゃなくて、とにかくお医者さん行ったらすぐ手術しましょうって言われて。それで転移の危険もあるから、しばらく抗がん剤治療しましょうってなって、今は全く治ってますよ。その2008年に発覚してから昨年の10月まで9年間ずっと治療っていうと変ですけど、一回再発して手術もしましたから。そんなことで体力的にね、その間例えばライブ活動やったりとか、ちょっと自信がなかったから。その9年間、声がかかってもやれるものやれないものがあって。特にステージに立つことは。病気すると体力がなくなるんですよね、最初。それと抗がん剤の副作用もずっとあって、今はあるとしたら足の裏に痺れが残るくらいなんだけど。そういうこともあって曲を書くとかね、作家仕事だったら来たものも引き受けたと思うけど、ステージに立つことに関しては、完治したって先生に言われる1~2年前ぐらいから、もうそろそろ大丈夫かなって気持ちになってきたんで、そのころから来る話は徐々に受けるようにしてきたって感じですね。
―― 近田さんと同時代にロックシーンで活躍した安岡力也さん(2012年死去)、ジョー山中さん(2011年死去)、桑名正博さん(2012年死去)、原田芳雄さん(2011年死去)らが先に旅立っていきましたがどう受け止めていますか。
近田:みんなしょっちゅう会っているわけじゃないんですけどね。寂しいって大げさな気持ちではないんですが。どう言ったらいいのか。みんないずれね、誰でも寿命が来ちゃうしね。誰でも寿命ってあるからね、僕もいつか死ぬだろうし、僕らくらいの歳になるとミュージシャンの人じゃなくても、学校の時に一緒だった人間とか、結構周りってこのくらいの歳になると死んでくんだよね。だから、意外とそんなもんなのかなって。割と淡々と受け止める方なのかなって。