人生の岐路でタイミングを間違ってはいけない
2009年5月に結婚したばかりの31歳の下窪さんに突き付けられた最後通告。下窪さんは当日の心境をこう語った。
「1年間は何もしなかったですね。野球をやりたいという思いもありましたし。だけど家族もいますし、食べていかなくてはならない。ようやく2年目からプロ野球時代にお世話になった方のところで少しずつ仕事をするようになりました」
当時、東京に在住しており、週に3日から4日、地元鹿児島に帰郷して知人の会社を手伝っていたという。
以降、様々な職種を経験し、2015年1月から祖父・勲さんが始めた創業46年の「下窪勲製茶」(鹿児島県南九州市)の職員として働いている。1年のうち、4カ月以上は出張で、関東、福岡などのデパートで店頭販売をしている。
「(戦力外通告をされた選手は)次のことはすぐには考えられない。でも、どこかで区切りをつけなければいけない。若ければ、社会人とか独立リーグに行けるが、30を超えた人間がずっと野球を続けていくことはできない。人生の岐路でタイミングを間違ってはいけない」
NPBのデータでは、昨年、プロ野球界から去っていった30%近くの選手が野球以外の職に就いている。ただ、下窪さんは、新たな職を見つけられた選手は幸せだという。
「自分は父に会社に入らないかと誘ってもらい幸せでした。ここでもう一花咲かせる覚悟です。だけど皆が皆、希望する職に就けるわけではない。これからセカンドキャリアをスタートさせる選手には、一日でも早く次の道を見つけてほしい。何もなく、ボーっとしている時間が一番辛いから。プロでやってこれたのだから、どんな仕事でもやれると思います」
戦力外通告から8年、39歳の下窪さんが後輩たちに熱いエールを送った。
(J-CASTニュース編集部 木村直樹)