大相撲の貴ノ岩(千賀ノ浦部屋)が2018年10月30日、元横綱日馬富士による傷害事件をめぐり約2400万円の損害賠償を求めた訴訟で、訴えを取り下げたことが分かった。貴ノ岩は、傷害事件によるケガの他、精神的苦痛を受けたことなどを主張し10月4日、東京地裁に損害賠償を求める訴えを起こした。
貴ノ岩が訴えを取り下げた最大の理由は、母国モンゴルでの想像を超える強烈なバッシングだった。バッシングの対象となった貴ノ岩の家族が、裁判を取りやめるよう貴ノ岩に訴えたという。被害者である貴ノ岩が、なぜ訴えを取り下げざるを得なかったのか。家族はなぜバッシングの対象となったのだろうか。
モンゴルでの大相撲視聴率、80%超?
1991年、旭鷲山、旭天鵬ら6人のモンゴル人が大島親方にスカウトされて来日。翌1992年大阪場所でそれぞれが初土俵を踏み、長い角界の歴史の中で初めてモンゴル人力士が誕生した。
この中で出世頭となったのは旭鷲山だった。小兵ながらモンゴル相撲で培った技の数々を披露し、「技のデパート」と称された舞の海に対して「技のデパート・モンゴル支店」として人気を博した。
旭鷲山が番付を上げていくにつれてモンゴルでの相撲人気もそれに比例していった。幕内に昇進してからは、モンゴルでは相撲が爆発的な人気となり、1時間遅れて放送されていた大相撲中継は、常時、80%を超えていたという。
旭鷲山の最高位は小結だったが、モンゴルでは知らぬものがいないといわれるスーパースターで、例えるならばモンゴルの長嶋茂雄氏といったところだ。
「神」に等しい存在
記者がスポーツ紙で大相撲を担当していた1997年の冬、モンゴル人のノルディックスキーの選手が来日した。
日本で頼る人物がいなかったこの選手は、成田空港に立ち降りるとすぐさまタクシー乗り場へ向かった。行き先は旭鷲山のいる大島部屋だった。
モンゴルと日本の紙幣価値の違いを知らなかったのか、この選手の所持金はわずか数千円だった。成田から墨田区の大島部屋まで2万円を超えるタクシー代を持ち合わせていなかった。
まったく面識がなく、見ず知らずの同胞を旭鷲山は快く出迎え、タクシー代を支払うと、この選手に新しいスキー板をプレゼントした。このエピソードはモンゴルでも大きく報じられたという。
その旭鷲山さえも届かなかったのが横綱である。大相撲ファンに限らず、モンゴル人にとって横綱はもはや「神」に等しい存在である。日本ではヒールだった元横綱朝青龍も、モンゴルでは絶大なる人気を誇り、国会議員となり、モンゴル有数の実業家としても知られる。
このような背景から、平幕力士が横綱を相手取って訴訟を起こすこと自体、事実関係はどうあれ非難されるべきことなのかもしれない。
モンゴル人力士の厳しい縦社会
また、事件の発端となったモンゴル人力士による会合にみられるように、モンゴル人力士の絆は固い。横のつながりだけではなく、縦の関係もはっきりしている。
モンゴル人力士の間では、番付に関わらず、年上の力士を敬う習性がある。かつて旭鷲山とともに来日した旭天山という力士がいた。
来日した者の中で年長者だった旭天山は一番の有望株で、将来の関取は間違いないと言われていた。だが、太ることの出来ない体質だったため、最高位は三段目だった。
旭鷲山や旭天鵬らが来日してすぐに部屋を脱走し、モンゴル大使館に駆け込むという事件が起こったが、唯一、部屋にとどまったのが旭天山だった。関取になることは出来なかったが、長くモンゴル人力士のリーダー的存在で、モンゴル人力士の会合を始めた力士でもある。
朝青龍、白鵬、日馬富士、鶴竜といった歴代モンゴル人横綱は常に旭天山への敬意を忘れなかった。
当時、自身より年長で横綱である日馬富士に、どのような状況であれ貴ノ岩がモノを言える立場になかっただろう。
元横綱日馬富士による貴ノ岩への傷害事件は、貴乃花親方の角界引退の引き金となり、裁判の行方に世間の注目が集まったが、横綱が平幕をあっけなく寄り切る幕引きとなった。
(J-CASTニュース編集部 木村直樹)