2018年10月27日、日本人2人目のNBAプレイヤーが誕生した。グリズリーズの渡辺雄太選手は、対サンズ戦の第4Q残り4分31秒から出場。2004年の田臥勇太氏(サンズ)以来、日本人選手として14年ぶりにNBAのコートに立った。
身長2メートル6センチ、体重93キロ、スラリと伸びた体型に切れ長の目。バスケットボールファンのみならず、渡辺選手の風貌を伝説のバスケ漫画「スラムダンク」の流川楓と重ね合わせた人は少なくないだろう。
NBAでのポジションも流川と同じスモールフォワード(SF)で、まさに実写版、流川楓といったところだ。
だが、渡辺選手の経歴をひも解くと、いきなり流川楓になったわけではない。
「宮城リョータ」から始まった
小学1年生でバスケットボールを始めた渡辺選手の身長は当初、普通の小学生並だった。中学1年の時は160センチほどで、平均よりも高いものの、決して人目を惹くほどの高さではない。
中学3年になると、急激に身長が伸びたが、それでもまだ180センチほどで、中学生ともなると、全国的な選手で190センチを超える選手は少なくない。
だが、このように年を追うごとに身長が伸びていったことが、後の渡辺選手が大きな財産を得る大きな要因となった。
平均的な体格だった小学生時代は、大柄な選手に対抗するためスピードとドリブル、そしてシュートのスキルトレーニングに徹した。ポジションでいえばポイントガード(PG)で、スラムダンクの宮城リョータを想像してほしい。
また、NBAデビュー戦で披露したフリースローに見られるように、正確なシュートが持ち味のひとつで、三井寿ばりのスリーポイントシュートも大きな武器となる。
「ゴリ」として育てなかった理由
高校入学した当時、身長はすでに190センチを超えていた。日本の高校では通常、このような大柄な選手は、ゴール下でプレーするセンター(C)もしくは、パワーフォワード(PF)で起用される。スラムダンクでは、ゴリこと赤木剛憲がセンター、桜木花道がPFを務めている。
だが、尽誠学園高で渡辺選手を指導した色摩拓也監督のイメージは、ゴリでも桜木花道でもなく、流川だった。
16歳で190センチを超える逸材をセンターとして育てれば、日本屈指のセンターに成長する可能性は十分にあった。だが、それは日本国内に限ってのことで、世界に目を向ければ、渡辺選手の体格はセンターとしては小柄である。
高校入学当時から渡辺選手の実力を高く評価していた色摩監督は、いずれ世界に羽ばたくであろうと信じ、「型にはめたくない」として、あえて複数のポジションを経験させたという。
赤城剛憲、桜木花道以上の体格を持ちながら、宮城リョータ、三井寿のスピード、シュート技術を習得し、流川楓のセンスを持ち合わせる渡辺選手。
スラムダンクの本編では、流川楓が全日本ジュニアの代表合宿から帰ってきたところで物語が終わっているが、渡辺選手の物語は始まったばかりだ。