「ゴリ」として育てなかった理由
高校入学した当時、身長はすでに190センチを超えていた。日本の高校では通常、このような大柄な選手は、ゴール下でプレーするセンター(C)もしくは、パワーフォワード(PF)で起用される。スラムダンクでは、ゴリこと赤木剛憲がセンター、桜木花道がPFを務めている。
だが、尽誠学園高で渡辺選手を指導した色摩拓也監督のイメージは、ゴリでも桜木花道でもなく、流川だった。
16歳で190センチを超える逸材をセンターとして育てれば、日本屈指のセンターに成長する可能性は十分にあった。だが、それは日本国内に限ってのことで、世界に目を向ければ、渡辺選手の体格はセンターとしては小柄である。
高校入学当時から渡辺選手の実力を高く評価していた色摩監督は、いずれ世界に羽ばたくであろうと信じ、「型にはめたくない」として、あえて複数のポジションを経験させたという。
赤城剛憲、桜木花道以上の体格を持ちながら、宮城リョータ、三井寿のスピード、シュート技術を習得し、流川楓のセンスを持ち合わせる渡辺選手。
スラムダンクの本編では、流川楓が全日本ジュニアの代表合宿から帰ってきたところで物語が終わっているが、渡辺選手の物語は始まったばかりだ。