過去5年の経験が示すこと
こうした日銀批判に対して、白川氏は「日本経済の根源的な原因はデフレではないと思っていた」と反論。そのうえで「急速な高齢化や人口減少に適合していないことが大きな原因」と述べ、社会保障を含めた財政の持続可能性の方が重要だという考えを示した。
その一方で、2012年12月に、物価目標を政策とするインフレ・ターゲティングの導入を掲げ、日銀法改正までも示唆して総選挙を戦い、国民の圧倒的な支持を受けた安倍政権のもとで、日銀が何も答えずに独善と思われることは避けなくてはならない、と思い、「熟慮の末、政府とアコード(政策協定)を結ぶのはやむを得ないと考えた」と発言。13年1月に「デフレの早期脱却と物価安定の目標を2%とする」という政府との共同声明に至った経緯を説明した。ただ、その共同声明も「日銀が2%の物価目標を機械的に追求しようとしたものではない」とした。
その後、日銀は後任の黒田総裁のもとで、2%の物価上昇を目標に、「異次元の緩和」と呼ばれる金融政策で大量の国債やリスク資産を日銀が買い取って資金を市場に供給する体制を取るようになった。これには中央銀行の政策としては中央銀行自身や国の財政の健全さを損なうとした批判も強い。
この後、会場からの質問で、現在の黒田総裁の政策について評価を聞かれた白川氏は「他の中央銀行総裁にならい、足元の金融政策について直接的なコメントは控えたい」と述べつつ、「過去5年の経験が示すように、日本経済の直面する問題の答えが金融政策以外にないということではないし、物価が上がらないことが低成長の原因という立場でもない」と語るとともに、2013年の政府と日銀の共同声明の精神に立ち返るべきだ、と語った。