卓球の福原愛さんが2018年10月21日、自身のブログで現役引退を発表した。福原さんは12年ロンドン五輪団体で銀メダルを獲得し、16年リオデジャネイロ五輪では団体銅メダルを獲得。3歳から卓球を始めて26年間、日本の女子卓球界を牽引してきた福原さんは、今後、卓球界発展へ向けて裏方として尽力する。
3歳でラケットを握り、幼いころから「天才卓球少女」として世間の注目を集めた。泣きながら母・千代さんの指導を受ける姿がテレビで放送されると、愛称が「天才少女」から「泣き虫愛ちゃん」へ。幅広い層から愛された。
中国超級リーグでも人気
19年前、スポーツ紙の記者として福原さんを始めて取材した。福原さんが小学校5年生の時だった。
その頃、福原さんはすでにプロとして活躍しており、「泣き虫愛ちゃん」の面影はほとんど残っていなかった。
高校に入学すると活躍の場を中国に求め、中国超級リーグに参戦。中国語が堪能で、肌が綺麗で透明感があって可愛いことから、磁器のお人形を意味する「瓷娃娃」(ツーワーワー)の愛称で、卓球王国・中国で絶大なる人気を誇った。
成長するにつれて世界ランキングも上昇し、世界の舞台で活躍するようになったが、記者が取材をしていた頃は、話題先行の感が強かった。
日本の同世代では敵なしでも、世界的に見て、福原さんがどれほどのレベルにいたかは正直、分からなかった。
そこを鋭く、的確に指摘したのは小山ちれさんだった。
小山さんは中国出身で、1987年世界選手権シングルスで優勝するなど世界ランキング1位の世界女王にもなった。89年に日本人男性と結婚し3年後に日本に帰化した。全日本選手権では史上最多となる8度のシングルス優勝を果たした。
「なんでみんなそんなに騒ぐの。あの程度の選手は中国にはざらにいる」
2001年の全日本選手権で福原さんと対戦した小山さんの言葉である。
取材していた記者にとって衝撃的な発言だった。これまでも物事をストレートに表現する小山さんだったが、思いもよらぬ場面で厳しい現実を突き付けられた感があった。
ブログで引退を表明
福原さんは当時、12歳。二回り上の36歳の小山さんに対して、「あまりにも大人気ない発言」と非難する声が殺到した。ただ、卓球王国でトップに立った小山さんからしてみれば、当時の福原さんの実力は、中国では普通の選手のものに見えたのだろう。
この発言を福原さんが耳にしたかは分からない。もし、12歳の少女の耳に入っていたならばショックは大きかったことだろう。
当時、福原さんを取材する中で、小山さんの言葉を完全に否定することは出来なかった。むしろ、当時の中国のレベルを見る限り、将来、福原さんが五輪でメダルを獲得するのを想像することの方が難しかった。
それからアテネ、北京と2度の五輪を経て、2012年のロンドンで福原さんは悲願のメダルを獲得し、その4年後には銅メダルを獲得した。そして結婚、出産を経て、11月1日の30歳の誕生日を前にして選手として区切りを付けた。
福原さんは引退に際しての心境をブログでこう綴った。
「何度もやめようかと考えたことはありましたが、一度も卓球を嫌いになることはありませんでした。そんな風に思えるものと出会わせてくれた母と兄に感謝の気持ちでいっぱいです。私は生涯卓球人なので、卓球という軸がぶれることは一生ありません」
小山さんのあの日の一言と、福原さんの五輪での2つのメダル。決して忘れられない。
(J-CASTニュース編集部 木村直樹)