J-CASTニュースで「保阪正康の『不可視の視点』 明治維新150年でふり返る近代日本」を連載中のノンフィクション作家・保阪正康さんが2018年10月17日、東洋文庫(東京都文京区)で講演した。
保阪さんは、幕末から明治維新にかけて、日本には4つの国家像がありえたものの、結局は「帝国主義国家」を選択したと指摘。今回の講演では、自らの出身地でもある北海道が帝国主義の「練習場」になり、それが日本全体の帝国主義化につながる一因になったとの見方を示した。
明治政府がアイヌを「旧土人」と呼ぶ意味
連載は、歴史にあえて「イフ(if)」を持ち込むことで、多様な角度から明治150年を読み解く内容。保阪さんは、国家像には(1)後発の帝国主義国としての道、(2)植民地解放、被圧迫民族の側に立った帝国主義的道義国家、(3)自由民権を国の柱に据えた国民国家、(4)江戸時代の国家像を土台に独自の連邦制国家、の4つがありえたと説いている。
北海道では2019年に「北海道命名150年」を迎える。1869年は明治政府が開拓使を設置し、アイヌ民族が住む蝦夷地を「北海道」と命名した年だ。アイヌの同化政策を進めていた明治政府は、1878年にアイヌ民族を「旧土人」と呼称することを決めている。講演では、保阪さんは
「その(『旧土人』という言葉を使う)神経というのは、北海道という土地が実は帝国主義的な国家の練習場になった(ということを示している)」
と批判した。
北海道統治が朝鮮、台湾の植民地政策のモデルケースに
さらに、明治政府が1886年に北海道庁を設置したのに続いて、1895年に台湾総督府、1910年に朝鮮総督府を置いたことを引き合いに、
「アイヌの人たちに対する中央政府、北海道庁が果たした役割が、実は満州、朝鮮、台湾で果たした中央政府の植民地政策とほとんど重なるということに気づく。この視点は、これからうんと検証しなければいけない。『フロンティアスピリット』などという甘い言葉で語って本質をごまかそうとする北海道論というのが、いかに北海道そのものの存在やアイヌの人たちを侮辱しているか、ということに根本からメスを入れなければならない」
などと訴えた。
さらに、この帝国主義というシステムが朝鮮半島や台湾でも上手く機能したことで、日本全体としても帝国主義を選ばざるを得なくなったと説いた。
「すでに北海道という土地を使いながら練習しているシステムがそこ(朝鮮半島や台湾)で機能しているということ。だから、それを選ぶしかないということは言えると思う」
イベント「J-CAST会員限定・特別講演 保阪正康 ANOTHER JAPAN」は、J-CASTニュースが登録会員向けに主催。約30人が熱心に耳を傾けた。
(J-CASTニュース編集部 工藤博司)