伊勢丹相模原店(神奈川県相模原市)、同府中店(東京都府中市)、新潟三越(新潟市中央区)が閉鎖されることになった。三越伊勢丹ホールディングス(HD)が進める不採算店の閉鎖などリストラの一環。訪日外国人のインバウンド景気で賑わう都心店と、郊外型大型店に押されて苦戦が続く地方店という百貨店業界の二極化の流れに抗せなかった。三越伊勢丹は今後も不採算店の閉鎖を進める構えだ。
2018年9月末の取締役会で正式に決めた。伊勢丹相模原と同府中の2店は19年9月30日、新潟三越は20年3月22日に営業を終える。各店の従業員の雇用はグループ内で再配置するなどして維持する方針。三越伊勢丹は「限られた経営資源を成長分野に再配分することを目的として」(18年9月26日のプレスリリース)、「特に赤字幅が大きく、今後投資をしても回収の見込みがない」(白井俊徳・常務執行役員、同日の会見)3店の閉鎖を決めた。
ピーク時の半分の売上高
3店の生い立ちはそれぞれ異なるが、1990年代半ばをピークに、売り上げがほぼ半減していたのは共通。
伊勢丹府中店は1996年4月、多摩地区最大級の百貨店として京王線府中駅南口駅の再開発ビルの核テナントとして誘致されオープン。初年度は261億円を売り上げたが、ここがピークで年々減少し、直近の2018年3月期は148億円に半減し、赤字が恒常化していた。1990年開店の同相模原店も同様で、ピークの377億円から195億円に落ち込んでいた。
新潟三越は1907年創業の小林呉服店が源流で、36年に小林百貨店として開業。55年に新潟大火で併設する映画館とともに全焼したが、2年後には焼け残った骨組みを元に再建し、78年には三越グループと業務資本提携、80年には名称も「新潟三越百貨店」となり、グループ入りした。しかし、売上高はピークの250億円から129億円に落ちた。老朽化した店舗はリフォームが必要で、コストに見合った見返りが見込めないとして閉店を決断したという。
三越伊勢丹は2017年3月に三越千葉店と同多摩センター店、18年3月に伊勢丹松戸店を閉めた。17年就任した杉江俊彦社長は、退職金を最大5000万円積み増す条件で早期退職を実施。高級スーパー「クイーンズ伊勢丹」運営会社の株式の66%を売却、婦人服販売子会社も清算した。こうしたリストラに伴い18年3月期決算は純損益が9億円の赤字を計上(前期は149億円の黒字)したが、19年3月期については売上高こそ1兆1950億円と前期比5.8%の減収を見込むものの、営業利益は290億円と18.8%増の大幅増益、純利益は130億円への黒字転換を見込んでいる。
同一地域に重複店舗
ただ、店舗の閉鎖がこれで終わるとは誰も思っていまい。今回の発表の席上、地方店の閉店について白井常務執行役員は「今後もありうる」と明言している。業界や不採算店を抱える地域では「次の候補」をめぐり、見方が交錯する。
まず挙がるのは、新潟三越と新潟伊勢丹が併存する新潟市のように、同一地域に店舗が重複するケース。例えば札幌市は、伊勢丹が地場の丸井今井を救済してグループ化し、札幌三越と競合する。北海道の商圏は一定の規模を擁するが、JR札幌駅に大丸札幌店もあり、競争は厳しい。
福岡市も伊勢丹が地場の岩田屋を救済してグループ化し、中心部の天神で福岡三越とバッティングしている。札幌と同様、JR博多駅に博多阪急もあり、2店を維持できるか、疑問視する声は多い。
三越伊勢丹の大都市の店舗は、富裕層に加えインバウンド消費も伸びて、業績は堅調だ。同社の収益を支える伊勢丹新宿本店(東京都新宿区)、三越日本橋本店(東京都中央区)、三越銀座店(同)の3店で、三越伊勢丹の百貨店事業の売上高の半分程度を稼ぐ。三越伊勢丹は3店の改装に巨費を投じ、それが売り上げを伸ばすという好循環が続き、地方店との社内格差は広がるばかり。「旗艦3店だけにすれば、経営効率の点では最強の百貨店になる」(アナリスト)との声も出る。もちろん、それは現実的ではないが、不採算店の閉鎖を含むリストラがまだ続くのは間違いなさそうだ。