韓国・済州島で2018年10月11日開催された観艦式で掲げられた、一本の旗が波紋を広げている。黄色の地に「帥」の一文字が染め抜かれた、李氏朝鮮時代の旗だ。
事前の「旭日旗締め出し」の経緯もあり、日本の外務省は韓国側に抗議する事態に。軋轢のきっかけとなったこの旗は、いったい何を意味していたのか。
NHK「秀吉と戦った将軍象徴の旗」
「韓国 観艦式 秀吉と戦った将軍象徴の旗掲揚 当初説明と矛盾も」(NHK)
「韓国軍艦、豊臣軍破った李舜臣の旗を掲げる 国際観艦式」(朝日新聞)
「韓国艦艇、観艦式で李舜臣将軍を象徴する旗掲揚」(読売新聞)
「国際観艦式で韓国「抗日」旗 日本政府が抗議」(産経新聞)
11日の観艦式後、主要なメディアが打った見出しである(いずれもウェブ版)。
問題の旗は、文在寅大統領が演説を行った駆逐艦「日出峰」に掲げられた。いち早く報じたNHKはこの旗を、
「豊臣秀吉の朝鮮侵略と戦った将軍を象徴する旗」
と紹介、「未来の海洋強国への意志を表明したもの」という大統領府の見解をあわせて掲載している。
今回の観艦式では、韓国政府は各国に「自国と韓国の国旗のみ」を掲げるように要請した。事実上、この要請は日本が自衛隊旗として用い、韓国内で「戦犯旗」などと主張される旭日旗を「締め出す」ためのものと見られており、結局日本は参加自体を見送った経緯がある。
にもかかわらず、当の韓国が国旗以外の、それも「日本と戦った英雄」李舜臣を象徴する(とされる)旗を用いた――その行為は、日本から見たらまさにあてつけである。
日本の報道まで注目度低く
ところで問題の旗は、本当に「李舜臣を象徴する」ものなのだろうか――日本のネット上では、そんな疑問の声も出ている。
そもそも、日本側からの報道が出るまで、韓国内では問題の旗=帥字旗(帥子旗)については、それほど注目されていなかった。同時に掲揚された「デニーの太極旗」(韓国現存最古の太極旗)を多くのメディアが取り上げたのに対し、こちらは、
「壬辰倭乱(文禄・慶長の役)で三道水軍統制使だった李舜臣(イ・スンシン)将軍が乗る座乗艦に掲げられていた朝鮮水軍大将旗『帥子旗』が掲げられた」(朝鮮日報)
と短く触れられた程度だ。日本側の反発が起こった後の韓国大手紙・朝鮮日報の記事では、
「朝鮮時代の水軍隊長旗」
「壬辰倭乱(文禄・慶長の役)で三道水軍統制使だった李舜臣(イ・スンシン)将軍の船にも掲げられていたと言われている」
といった具合で、李舜臣とのつながりは確かに意識されているものの、日本での報道に比べるとややトーンが弱い。
旗のセンシティブさ、意識してなかった?
「帥字旗」はむしろ、韓国では1871年の「辛未洋擾」を象徴する旗として知られてきた。当時の朝鮮が、来航した米国船を撃沈したことへの報復として、米海軍が江華島を襲撃、守備軍を壊滅した事件である。その際に戦利品として持ち去られたのが、本陣に掲げられていた帥字旗だ。
その後、韓国側は「米国にある最も代表的な韓国略奪文化財」(中央日報、2007年5月7日付)とみなし返還を交渉、2007年に長期貸与という形で136年ぶりに「里帰り」した。こうした経緯を考えれば、日本だけでなく米国へのあてつけとも捉えられかねない(なお、米国は観艦式に参加したものの、市民団体のデモもあり、式典終了まで空母「ロナルド・レーガン」が入港できないトラブルに見舞われた)。どう転んでもセンシティブな旗だが、韓国政府が事前にどこまで配慮していたかは不明だ。
12日に外務省は抗議、これに対する韓国の正式な回答はまだ明らかになっていないが、共同通信は13日、「韓国海軍当局者」の話として、「国旗のみ」の要請は外国艦船のみなので、帥字旗の掲揚は問題ない、との見方を伝えている。